世界聖餐日礼拝 「しばらくすると」

ヨハネによる福音書 16章16~24節
エレミヤ書 32章6~15節

 

 “しばらく”とはどの位の長さなのかは、人によってまちまちかもしれません。今日の個所で実に7回繰り返されている16「しばらくすると」の原語は“ミクロン”、1000分の1ミリを表す単位の語源となった言葉です。「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のよう」(Ⅰペトロ38)との言葉を思い起こします。

 何を指して主イエスは、16「しばらくすると」と言われたのでしょうか。直接には、直後の十字架の死と復活を指していましょう。希望の主を失い20「悲嘆に暮れる」が、20「その悲しみは喜びに変わる」22「その喜びを…奪い去る者はいない」と主は予告されました。

 これらの言葉は、時代を越えて私たちにも告げられています。16「しばらくすると」与えられる20「喜び」とは、すべてを 8「明らかにする」聖霊の伴いでもあり、ついに13「真理」が世を覆う完成の時でもあります。

 自らが預言したとおり南王国ユダが滅亡しようとしているとき、エレミヤは主の言葉に導かれてエルサレム近郊の町アナトトの土地を買い取りました。いくら10「証書」を作っても効力は見込めない危機的状況にも拘らず、彼は正式に手続きをしたのでした。それはいつの日か、必ず復興する時が来るとの主の約束を表していました。

 私たちが時を計るのとは別に、主は歴史を御手に治めこれを導かれます。この主の伴いと約束のゆえに、私たちは20「喜び」つつ今を歩み得ます。

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