「わたしの平和を与える」

ヨハネによる福音書 14章25~31節
エレミヤ書 6章13~19節

 

 27「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」との主イエスの言葉には、「平和」もその内実が吟味されねばならないとの含蓄がありましょう。

 参院で審議中の安全保障関連法案が、今週にも採決、成立するのではとの危惧があります。集団的自衛権を容認し他国の軍事行動への自衛隊の合流・武力行使に道を開くこの法案は “国際平和支援法” “平和安全法制整備法” と名づけられていますが、この “平和” は “日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する” との日本国憲法前文の “平和” と果たして同じと言い得るのでしょうか。

 B.C.7世紀、北ではアッシリアの滅亡、新バビロニアの台頭、南ではエジプトの支配という激動にあっても政治的に立ち回れると楽観して主のみ旨を顧みようとしなかった南王国ユダの指導者たちのあり様を、預言者エレミヤは14  「彼らは…平和がないのに『平和、平和』と言う」と厳しく批判し、その道は亡国という裁きへと至ると告げました。そのため彼は厳しい弾圧を受けましたが、その預言はB.C.587年南王国の滅亡という形で現実のものとなったのです。

 1~2世紀の地中海世界は比較的穏やかな時代であったと、パクス・ロマーナ(ローマの平和)と呼ばれます。しかしその内実はローマ帝国の強力な覇権による安定であり、そこには支配されている多くの民がいたのでした。

 主イエスは自らを犠牲とする十字架によって、悩みある世を神の確固たる祝福へと結びつけ、その平和へとすべての者を招かれます(エフェソ2:14~)。その招きから洩れる者はありません。

 預言者エレミヤは8:8~で、主の言葉を持っていてもそれを生きないならばそれは偽りでしかないと警告を発し、「平和」は語るだけではなく一人一人が生きるものだと告げています。私たちが心に留めるべき言葉だと思います。

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