「あなたがたと共におり、あなたがたの内にいる」

ヨハネによる福音書 14章15~24節
創世記 28章10~22節

 

 誰も、他者の人生を代わって負うことはできません。イサクの息子ヤコブは狡猾に長子の権利を奪い取るなど、いわば独力で人生を切り開いていきました。しかしその代償のように恨みを買い、逃亡の旅に出ざるを得なくなったのです。荒野で独り野宿した夜ヤコブは、主が15「見よ、わたしはあなたと共にいる。…わたしは…決して見捨てない。」と呼びかける声を聞いたのでした。この私を見守る大いなるまなざしがある、この気づきはヤコブにとって大きな驚きでした(1617節)。その後も彼の性格は急に改まったわけではなく、その人生は波乱含みでした。が、この私に伴う方がおられるとの信仰は、確かに彼の人生を支え導いていったのです。

 十字架を前にした訣別説教において主イエスは16「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と告げ、主イエスが去った後神は聖霊として伴われることを約束してくださいました。16「弁護者(パラクレートス)」には、“傍らに呼ぶ”“慰める”との意味があります。私たちがそれぞれの人生をその完成まで歩み通す上で、これに伴走し痛み悲しみをも分かってくださる方があることは大きな力ではないでしょうか。

 17「この霊があなたがたと共におり…あなたがたの内にいる」との言葉は、この霊が神・キリストと信仰者を結ぶのみならず、隣人を共に生きる者として結び合わせることを指し示しています。

 このことは、信仰のまなざしにおいて仰ぎ得ることです(17・19節)。19「生きて」働かれる主イエスと共に、19「生き」る幸いがここにあります。

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