「いや、既に父を見ている」

ヨハネによる福音書 14章1~14節
出エジプト記 33章18~23節

 

 人が神の20「顔を見ることはできない」というのは、人から神へと到る道はないということを表していましょう。占いや口寄せが聖書において禁じられているのも、このことによります(レビ1931等)。とすれば、私たちはどのようにして神に出会うことができるのでしょうか。

 深い悩みにあって神を求めたモーセに、20「あなたはわたしの顔を見ることはできない」と言われながらも、神が22「栄光」をもってその傍らを通り過ぎられたという故事は、神が小さな私たちに自ら近づいてくださる方であることを示しています。

 神自らが近づき迫ってくださることによってのみ、私たちは神と出会うことができます。そして世と人に対するこの神の憐れみは、主イエス・キリストとして「わたしたちの間に宿られ」(114)るに到りました。主イエスに触れることを通して、神の顔を仰ぐことができる幸いが与えられたのです。

 ゆえに 7「私を知っているなら…父をも知ることになる。…既に父を見ている」、 6「わたしは道であり、真理であり、命である」と、主イエスは言われます。主イエスを通ってどこか祝福の地を目指すのではありません。真理であり命である方が私たちに近づき伴われる、この主イエスと共に生きることが道なのです。

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