平和主日礼拝 「血肉を相手にするものではない」

エフェソの信徒への手紙 6章10~20節
詩編 133編1~3節

 

 集団的自衛権に道を開く安全保障関連法案がすでに衆院を通過し、参院で審議されています。約9割の憲法学者が違憲と指摘、各社の世論調査でも過半数が今国会での成立に反対という中、強行採決が繰り返されるならば大きな禍根を残すでしょう。

 憲法第9条をもち平和的手段で様々に世界に貢献する日本人との評価は、最近のテロ被害に現れているように明らかに変わってきました。“戦争できる国”への舵取りは、国際情勢の中で対立・危険を増大させるものと危惧します。

 エフェソ書簡の著者は、「今は悪い時代」(516)とした上で、12「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではな」いと語ります。12「血肉」とは、限りある人間の弱さを指しています。私たちの戦いは対立する他者へと向かうものではなく、互いの弱さにつけ込む12「支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊」にこそ抗すべきものであることが指し示されています。

 沖縄の民意を無視しての新基地建設が目論まれている辺野古では、座り込みで反対の意思を示しつつ対峙する人たちにもなお語りかける活動が港で11年、資材搬入口の米軍基地ゲート前で1年続けられています。

 「心の貧しい人たちは、幸いである。天の国はその人たちのものである。…柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。…平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ53~)と主イエスは言われました。これは理想論でも、この世を離れた天国を指し示すものでもありません。貧しく小さくても日々に平和を実現する者こそ、地の主権者であり、神の祝福を受けるとの宣言がここにはあります。

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