「洗足」

ヨハネによる福音書 13章1~11節
ホセア書 14章1~4節

 

 赤ちゃんが成長して歩き始める時期は目を離せず大変でありながらも、親にとってはうれしい時でしょう。その子が自らの道を歩み出す一歩であるからです。

 人間の神からの離反をテーマとしたホセア書には、 1「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した」、 3「…腕を支えて、歩くことを教えたのは、わたしだ」、 4「わたしは身をかがめて食べさせた」との神の愛情が語られています。特に 4「軛を取り去り」 4「人間の綱、愛のきずなで…導き」とは、歩き出した人間がどう歩むかを心配しながらも規制をもってではなく、信頼と期待をもってその足取りを見まもろうとの思いを示していましょう。

 しかし人間の離反と放浪は続き、これを再び祝福へと呼び戻すため神は主イエスとしてこの地に降り立たれたのでした。

 十字架につけられる前の晩、主イエスはあたかも奴隷のように身をかがめて弟子たちの足を洗われました。なぜ 5「足」だったのでしょうか(89節)。歩き回った 5「足」は一番汚れるところであり、それでも各々はその足でなお歩み行かねばならないからです。 1「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」この洗足には、自らの十字架で世の罪を清めようとの決意と、それゆえあなたたちは希望と平和へと歩み行けとの期待・派遣が込められていることを心に刻みたく思います。

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