召天者記念礼拝 「わたしたちは主のもの」

ローマの信徒への手紙 14章7~9節
イザヤ書 44章1~8節

 

 16世紀のドイツで編まれたハイデルベルグ信仰問答は、その第一で“生きるにも死ぬにも…ただ一つの慰めは何ですか”と問い、“わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです”と答えています。

  “わたしはわたし自身のものではないか”と、違和感を覚えられるでしょうか。アメリカ奴隷制度の問題を扱ったH.B.ストウの小説『アンクル・トムの小屋』には、“お前の身も魂も俺のものだ”と鞭打つ主人に、トムが“いいえ。体はあなたのものかもしれませんが、魂は違います。魂は神さまのものです。どなたにも買われていません。”と応える場面があります。その抱えもつ破れ・罪にもかかわらずこの私が真実なる方に覚えられ帰属するのだとの確信が、世の権力さらには死の縄目からも私たちを解放するのです。

 占領国ローマ帝国への納税の可否を問われたとき、主イエスはローマの銀貨を取り上げて「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えられました(マルコ12:17)。この答には鋭くかつ深い問いが含まれています。では皇帝は税・財産・、領土と人々…どこまでを所有するのか、そもそも私たちは誰に帰属するのかを問うものであるからです。

 主イエスは私たちを訊ね求めて天から地に、さらには十字架の死へと降られ、私たちを復活の勝利へと結び合わされました。ゆえに 8「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のもの」なのです。ここに私たちの基盤と慰めがあります。

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