「再び栄光を現そう」

ヨハネによる福音書 12章27~36節
詩編 19編1~15節

 

 24「一粒の麦」としての十字架上の死を直視された主イエスは心を騒がせられながらも、27「わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」と祈られました。すると28「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」との神の言葉が響いたのでした。

 既に現された栄光とは何を指しているでしょうか。これまで主イエスは6つの「しるし」を顕わしてこられたと、この福音書は記してきました(21145462149161217)。「わたしの時はまだ来ていません」(24)と言われつつも、その「時」に連なる慈しみ憐れみをもってなされたみ業の数々です。そして今や主イエスは自らの命をも注ぎ出して、27「この時」なる十字架へと進まれるのです。

 27「御名」には、神の揺るぎない意志との意味があります。教父アウグスティヌスは、すべての創造に始まり歴史がこの神のみ旨によって導かれ支えられてきたことを既に現された栄光に数えています。そして27「この時」、主イエスの十字架において世の救いという神の大いなる意思が現されようとしているのです。

 この主を仰ぐ者は、“みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ”と祈ります。27「再び栄光を現そう」との神の慈しみ憐れみがこの今にも実現しゆくことを求め、行動するのです。

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