「一粒の麦から」

ヨハネによる福音書 12章20~26節
ルツ記 2章11~16節

 

 今日開いた箇所の前段にある主イエスのエルサレム入城からが、主イエスが十字架へ挙げられるまでの受難週の記述です。これまで主イエスの時はまだ来ていないと繰り返されてきた中(2476830820)、ここで主イエスは23「人の子が栄光を受ける時が来た」と明かされました。

 その23「栄光」とは、歓呼を受けて入城されたあり様を指しているのではありません。24「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」との言葉を通して、主は十字架で遂げられるご自身の死こそがそれであると告げられたのでした。

 種となった24「一粒の麦」は何倍もの収穫に至り、それは「命のパン」(635)として人々を養います。ちょうどこの時、20「何人かのギリシア人」が主イエスを求めてやって来ていました。主イエスの十字架はこの24「地」に、広く世界の人々が与り得る救いの礎として刻まれたのです。

 私たち自身も24「一粒の麦」としての命を与えられています。25「自分の命を愛する」とはその命を自らのためだけに費やすことであり、25「自分の命を憎む」とはその意味・意義を訊ねつつ用いていくことです。そのことを通して、私たちも十字架の主に連なることができると教えられています(26節)。

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