収穫感謝合同礼拝 「苦い食べ物にも」

詩編 126編1~6節

 

 私たちの教会の源流を辿ると、信仰の自由を求めてメイフラワー号に乗りイギリスから新大陸アメリカを目指したピューリタンたちに遡ります。彼らが到着した1621年の冬は厳しく、病人や亡くなった人も出ました。食べ物も十分ではないのを見た先住民インディアンたちは、とうもろこしの種を分けかぼちゃの育て方を教えて彼らを助けたのでした。その秋の収穫を迎えたとき、ピューリタンはインディアンたちを招いて食事を共にしました。これが収穫感謝祭の始まりです。神さまに感謝すると共に、苦しみや喜びを分かちあう日だったことを覚えたく思います。

  5「種」は一朝一夕に実りには到りません。耕し、蒔き、水をやり、世話をする苦労が伴います。時には 6「泣きながら」働かねばならないこともあるかもしれません。でもその 5「涙」は無駄には終わらず、やがて 5「喜び」の収穫に到るのです。

 苦味は大人になってわかる味です。子どもの頃口にできなかったゴーヤやコーヒーなども、大きくなるとそのおいしさがわかるのです。苦味には人をリフレッシュさせ、ストレスから解放する役割があるのだそうです。

 アメリカで本国活動中のJ.メンセンディーク宣教師から、今朝の礼拝ではなお震災の中を歩む東北のことを話して思いと祈りを共にしますとメールが来ました。苦しみも喜びも分かち合う仲間が与えられていることは、大きな励ましです。

コメントは受け付けていません。