「わたしたちの友が眠っている」

ヨハネによる福音書 11章1~16節
サムエル記上 18章1~4節 

 

 徳富蘇峰(猪一郎)は熊本バンドの一員として開校まもない同志社に入学しましたが、たびたび学校と衝突、ついにはストライキを扇動して卒業1か月前に中退した人物です。が、新島襄と蘇峰の師弟としての信頼関係は途切れることはありませんでした。熊本に帰り私塾開設に苦労していた蘇峰を励ますため、新島はアメリカからカタルパの種を取り寄せて贈りました。その私塾“大江義塾”跡地、現在の徳富記念園ではその二世が大きく育っています。来週当教会に植樹するカタルパは、この木ときょうだいにあたります。

 聖書には、様々な絆で結ばれた人々のドラマがあります。イスラエル最初の王サウルの息子ヨナタンが後に第二代王となるダビデと会ったとき、 1「ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した」とあります。その後、サウルがダビデを憎んで狙うようになる難しい状況にあっても、その友情は変わることがありませんでした(サムエル下117~)。

 主イエスはベタニアに住むマルタ・マリアの姉妹を愛し、たびたび立ち寄っておられました(ルカ1038~)。その兄弟ラザロが死の床に就いている、との知らせが入ったのです。このとき主イエスは11「わたしたちの友ラザロが眠っている。…わたしは彼を起こしに行く」との言葉と共に、ベタニアに向われたのでした。このとき弟子たちは殺意が待ち受けるユダヤ地方に足を踏み入れることを憂い(8節)、あるいは悲壮な覚悟を固めていました。11「わたしたちの友」との言葉は、こうした弟子たちに向けられていると思います。主イエスが私たちを友と呼んで自ら近づいてくださるその愛は、厳然と立ちはだかる死の壁をも崩すものだからです。そして主イエスは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。…あなたがたはわたしの友である。」(151214)と教えられました。主イエスの愛は私たちに及ぶと共に、さらに私たち自身新たな絆を築くべく押し出すのです。

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