「まことの羊飼い」

ヨハネによる福音書 10章7~18節
エゼキエル書 34章11~16節

 

 去る5月26日の教区総会で行われた補教師の准允式に際し、今日開いたエゼキエル341116を読みました。ここには、主なる神ご自身が自ら群れを養い憩わせると述べられています。新約の時に至り、ヘブライ1320、Ⅰペトロ54は「大牧者」との言葉で、このまことの牧者は主イエスご自身であると言い表しました。教職・役員などとして牧会に携わる者は、このまことの牧者のもとにあって、その業に向かいます。それは光栄であると共に、今日のヨハネ10章にある 8「盗人」 8「強盗」12「雇い人」に堕すことがないようにとの重い問いを頂くことでもあります。

 前章9節で、主イエスに見えるようにして頂いた人が圧迫の中でも「わたしがそうなのです」と述べて主イエスへの信仰を言い表したことに響き合うような仕方で、主イエスは 9「わたしは門である」11「わたしは良い羊飼いである」と力強く宣言されました。この方に連なりその道を共に歩む者を 9「救」い=神の祝福に導くと主は約束され、そのために11・15「命を捨てる」と十字架を見据えられたのです。

 加えて16「囲いに入っていないほかの羊」をも導くと語られています。主なる神が散らされた羊を牧し憩わせると言われたように、主イエスは神から命を分け与えられたすべての人を放浪と悲惨から祝福へと導くために来られました。その働きは復活の主によって、今も続けられています。教会は、牧者は、また信じる者は、それぞれの働きを通じて、この主に連なるのです。

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