「わたしもあなたを罪に定めない、行きなさい」

ヨハネによる福音書 8章1~11節
イザヤ書 42章18節~43章4節

 

 今日開いたヨハネ8111は〔 〕の中に入れられています。この箇所が重要な写本に欠けており、文体なども他の箇所とは異なることから、元々のヨハネ福音書にはなかったのだと考えられます。それでもこの箇所は、罪と赦しの問題が私たち自身に及ぶものであることを印象深く投げかけてきます。

 4「姦通」が石打ちの刑に相当するとの 5「律法」はレビ2010に存在しますが、ここでこの女性は何故か一人で連れてこられました。その判断を求められた主イエスは 8「身をかがめて地面に書き続けられ」、ただ一言 7「あなたがたの中で罪の犯したことのない者が、まず…石を投げなさい」と言われたのです。沈黙が支配する中、すると 9「年長者から始まって、一人また一人と、立ち去っ」たのでした。他者を裁き得ない罪が拭いがたくあることを、自覚させられたのでしょう。

 川端純四郎兄はある講演で、この箇所が受洗のきっかけの一つだったと語っておられます。そしてドイツ留学に際しインドの孤児たちに触れたこと、家族を日本軍に虐殺された中国人留学生に出会ったことから、自らの罪が歴史と社会の深さを抱えるものであることに目を開かれたのだといいます。重い問いかけを含むこの講演録を読んでいて、続いて紹介されているエピソードに何か救われるような印象を受けます。ドイツで最初に迎えたクリスマスイブに、兄は貧しいドイツ人夫妻の食卓に招待されました。寂しい日本人留学生を慰めてやろうと声をかけてくれたこの夫妻に兄は癒しを与えられ、自らにもなし得る何かを指し示されたのでした。

 主イエスは女性に11「わたしもあなたを罪に定めない」と赦しを与えられると共に、11「行きなさい」と言われました。私たち一人一人も、権威ある方の罪の赦しを必要としています。自らの命をも十字架で犠牲と注ぎ出されたこの方にこそ、その権威はあります。でも私たちの罪が私以外の広がりを含むものならば、赦されて終わり、とはなり得ません。その後どのように生きるのかが問われましょう。主イエスは11「行きなさい」と、それぞれが赦しの恵みに応えゆく道を見いだし歩みゆくことを期待しておられます。

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