「生きた水が流れ出る」

ヨハネによる福音書 7章37~39節
エゼキエル書 47章1~12節

 

 仮庵祭の間、祭司がギホンの泉から黄金の水差しで水を汲み祭壇に注ぐという儀式が行われました。これは荒野の旅で民が神に潤されたことを記念すると共に(出176)、この神こそがついには世界全体を命の水で潤される究極の希望を仰ぐものでした。

 エゼキエル471~には、捕囚・亡国の時代の預言者に与えられた壮大な光景の描写があります。それは、破壊されたはずの神殿が壮麗に再建され、そこから滔々と水が湧き出で大河となるというものでした。その水は流域をきれいに再生し、いかなる生物をも拒んできた死海をも潤して10「魚」や12「果樹」が満ちる大いなる恵みのあり様を預言者は仰ぎ見たのです。

 人間の罪が痛恨の事故を引き起こし、恵みの地を汚染してしまった今日の事態を振り返る時、神から流れ出る命の水こそが再生への希望だとのメッセージは響きます。

 主イエスは、それは38「わたしを信じる」ことに始まると宣言されました。39「栄光」すなわちこの方の十字架の犠牲によって(1223等)命への再生の道が拓かれるからです。その人を潤した38「生きた水」はなお38「流れ出」て、憂いある世を再生するのだと語られています。そのとおり、主イエスに連なり、平和と希望のために労している働き人たちがあることに私たちも励まされ、力を分け与えられています。

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