「土の器に与えられた希望」

コリントの信徒への手紙 一 4章1~15節
詩編 23編1~6節

 

 7「土の器」とは日常に用いられる素焼きの器のことで、そこには脆く弱く価値がないものとの理解があります(哀歌42等)。また被造物が土から生まれ土に返る存在であることをも表していましょう(イザヤ459等)。

 これを記している伝道者パウロは、かつて家柄や教育、また律法実践の点でも多々の誇りを持っていました。が主イエスとの出会いにあって、これらのものを打ち捨てていきました。主なる神と結び与えられた生を真に生きるために、これらのものは役に立たないことを知ったのです(フィリピ34~)。こうして辿りついたのが、脆く取り立てて価値もない 7「土の器」との自己理解でした。

 それ自体に美術品や骨董品のような価値はなくとも、器は何かを盛ることができます。パウロは自らに福音を盛って頂き、これを分かち合う器とされたことを 1「憐れみ」 1「務め」 7「宝」と語っています。自ら一人の人間となられ十字架を負われた主イエスご自身が 7「土の器」となられた方であったことを仰ぎ、この方に従うことをパウロは恵み・務め・喜びとしたのでした(マタイ1624)。

 同様の恵みと召しの内に私たちも置かれていることを覚えたく思います。東北に刻まれた課題がなお大きいことを率直に見つめつつ、その東北を主が愛し生きて働かれておられることに導かれ、この年度を歩みましょう。

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