「倒された木から生え出る希望」

イザヤ書 11章1~10節
使徒言行録 8章26~40節

 

 クリスマスの讃美歌248番は、今日開いたイザヤ11:1~の箇所を歌っています。 1「エッサイ」はダビデ王の父ですから 1「その根からひとつの若枝が育ち」とは、ダビデ王朝の末裔から救い主が出るということです。新約の当時、人々の間にはそうした待望がありましたし、福音書も主イエス誕生においてこれが成就したのだと語っています(マタイ1:17・20等)。

 但しこの 1「株」は私たちがイメージする切り株ではなく、完膚なきまでに「断ち」「切り倒され」(10:34)生気をなくした根を指しています。ですからこの箇所は、もはや見向きもされず踏みつけられた痛々しい根から 1「若枝が育ち」平和と共存が実った、との驚きを語っているのです。

 使徒8:28~に、道を求めていたエチオピアの高官にフィリポが出会い導いた話があります。この時 2「乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のようにこの人は…育った」と始まるイザヤ53章を読んで戸惑っていた高官に、フィリポはこのように受難に進まれた主イエスこそ救い主であると解き明かしました。大迫害が起こってエルサレムから散らされていった者の一人フィリポによって(8:1)、外国に35「福音」の39「喜び」が告げ知らされたこともまた不思議なことでした。

 “散らされた”とは、震災以降の東北の姿でもあります。でも主は、切り倒され踏みつけられ散らされたあり様から新しい希望を生え出させられる、そのみ業を仰ぎたく思います。

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