「良い知らせを伝える者の足」

イザヤ書 52章7~10節
マルコによる福音書 1章35~39節

 

 イザヤ52:7~は、B.C.6世紀バビロン捕囚から人々がエルサレムに帰還した時のことを描いています。戦後約50年を経ても、新バビロニア帝国に破壊された都エルサレムは 9「廃墟」のままでした。その中で耐え忍んできた人々はある日“捕われていた同胞が主に導かれてついに帰ってくる”との 7「良い知らせ」を聞き、大いに沸き立ちました。一方ついに故国の土を踏んだ帰還民は、その荒廃のありさまに声を失ったのでした。

 7「平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ」る 8「声」ではなく、なぜそれを 7「伝える者の足」が 7「美しい」と語られているのでしょう。サンダル履きで当時の道を踏みしめ 7「山々を行き巡」ったその 7「足」はひどく汚れ、傷ついていたはずです。でも汚れて血が流れようとも、困難の中を歩む者に 7「良い知らせ」を告げ知らせようと走り続けるこの 7「足」こそ美しいと預言者は語ったのです。

 神の国の宣教を始められて間もなく、祈っておられた主イエスは38「そのためにわたしは出て来たの」だとの声と共に、待っている人々の只中へと歩み出されたとあります。主ご自身が 7「平和」 7「恵み」 7「救い」を告げるために悩みあるこの世界に降られ、その実現のために地を 7「行き巡」られた方でした。この主は、従って歩んだ者の汚れた足を慈しまれた方でもありました(ヨハネ13:1~)。今日も困難ある地には、生ける主の足跡があるのではないでしょうか。そして、従って歩む者の足を主は祝され喜ばれることを思います。

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