「いつまでもなくならない食べ物」

ヨハネによる福音書 6章22~33節
イザヤ書 55章1~3節

 

 26「満腹したからだ」こう聞くと、あぁこの人たちは主イエスからたしなめられているのだ、と私たちは早合点しがちです。でもこの人たちは、五つのパンと二匹の魚で満たされた体験から(115節)ただならぬものを感じて、主イエスを追い求めてきたのでした。シカルの井戸辺で出会った女性と同様(47~)、この時点で彼らは実際のパンを求めていました。がここでも、主イエスとのやり取りは深まっていきます。

 主イエスは人はパンだけでは満たされないのだと前置きされ、27「永遠の命に到る食べ物のために働きなさい」と勧められました。応えて人々が28「何をしたらよいでしょうか」と問うと、神の国のために働くこと自体が27「食べ物」なのだ、父なる神も(3233節)私も(27節)そうした27「いつまでもなくならない…食べ物」を世と人々に分かち続けている、と教えられたのでした。

 シカルの井戸辺で出会った女性が神の祝福へと繋がれていった中で主イエスが元気を回復され、父なる神の「御心を行い、その業を成し遂げること」(434)こそ「わたしの食べ物」(同)なのだと語られたことを思い起こします。

 それは私たちにも当てはまることなのだと、このとき主イエスは教えられたのでした。この29「神がお遣わしになった者を信じ」、その業に連なり働くとき、私たちもまたこの不思議な食べ物によって養われ続けるのです。昨日は、東日本大震災で由緒ある礼拝堂を失われた福島教会の新礼拝堂献堂式でした。困難の中で主を仰がれた方、信じて捧げられた方、自らその労を分かち合われた方々がそれらに倍するよろこびを共にしておられるのを見るにつけて、この主の言葉のまことを思わされたました。

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