「父が求めておられる」

ヨハネによる福音書 4章7~26節
イザヤ書 2章2~5節

 

 9「ユダヤ人」と 9「サマリア人」は本来は同胞であるにもかかわらず、歴史的経緯から両者の間には溝がありました。ユダヤ人はサマリア人を嫌って都エルサレムの神殿礼拝から締め出し、サマリア人もこれに対抗してゲリジム山に神殿を作ったのでした(20節)。

 さてサマリアの地シカルの井戸辺で、旅の途中疲れて座りこんだ主イエスは水を汲みにきたサマリアの女性に一杯の水を求めました。ここから始まった会話は、やがて14「永遠の命に至る水」さらには23「まことの礼拝」を巡ってとどんどん深まっていきました。

 15「渇くことがない」14「永遠の命に至る水」との言葉に反応した女性に向かって、主イエスは彼女が抱える結婚の問題を正面から切り出されました。内なる悩み・求めを言い当てられた女性は驚き、ではどこに行けば本物の神さまに出会えるのかと問うたのでした(20節)。

 この女性の姿は、他人事でしょうか。私たちも大なり小なり何かしらの求めを抱え、本物の神さまはどこにおられるのかと訊ね歩くのです。

 主イエスはどこへ行け、とは言われませんでした。大切なのは23「霊と真理をもって」23「まことの礼拝」をすること、何故ならば23「父」なる神ご自身がそのように23「礼拝する者を求めておられる」からだ、と教えられたのです。

 その言葉の通りに、この女性はこのとき25「キリスト」なる主イエスに出会ったのでした。主なる神のまなざしに洩れる場所はありません。私たちはそれぞれの生活の場でも、生きて働かれる主に出会うことができるのです。

コメントは受け付けていません。