「来て、見なさい」

ヨハネによる福音書 1章35~51節
創世記 28章10~17節

 

 38「どこに泊まっておられるのですか」39「来なさい。そうすれば分かる」、たわいもないやり取りに見えます。ここから二人は一晩主イエスと語り合い、最初の弟子とされたのでした。

 次いで二人の内のアンデレがシモン・ペトロを主イエスのもとに連れていき、さらには同郷のフィリポがナタナエルに声をかけ、という形で主イエスに従う者が次々と起こされていった様子が記されています。39「来なさい」と主イエスの招きにあって恵みに捉えられた者が、今度は46「来て、見なさい」と隣人を招く者とされたのでした。

 彼らがどのように捉えられたのかが、シモン・ペトロまたナタナエルのケースに示されています。彼らは、自らに先んじて存在をその眼差しに捉え(48節)、そのまことを42「見つめ」ておられる方に出会ったのです。

 38「泊まって」の語は“留まる”“つながる”とも訳せ、この後くりかえしヨハネ福音書に現れます。主イエスは「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当に私の弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(831)、「私はぶどうの木…。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(155)と言われました。39「来なさい」との招きに応えた弟子たちは主イエスに留まり、ついには十字架と復活の証人とされていきました。その招きと恵みは歴史を通して連綿と続き、今日の私たちに至っています。

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