「キリストは明日おいでになる」

マタイによる福音書 2章1~12節
詩編 85編5~14節

 

 244“キリストは明日おいでになる”は、当教会とも関わりがある讃美歌です。作詞者F.カーンは、イギリスの港湾都市プリマスの会衆派教会の牧師だった人です。17世紀この港を出帆したメイフラワー号に乗り込みアメリカを目指したピューリタンたちが、私たち日本の会衆派教会の源流です。カーンも作曲者D.ポッターも世界教会協議会(WCC)で活躍され、川端純四郎兄もそのよき働きに触れられたと書いておられます(川端純四郎『さんびかものがたりⅡ-この聖き夜に』)。この讃美歌は、私たちがキリストのみ業と神の国の完成の間に生きていることを思い起こさせ、そこでどのように歩むのかを問いかけます。

 罪を赦す11「慈しみ」と真実をあらわす11「まこと」は、この地上において相反するものです。しかし神のみ業はこれを結び合わせて実現し、 9「平和」を宣言するのだと告げられています。私たちは、その道を拓くために主がおいでになった降誕と、裁きと赦しを成し遂げられた十字架に、この預言の成就を見ます。主イエスにおいて12「地」と12「天」は結ばれ、13「わたしたちの地」が良き13「実り」へと導かれる希望がもたらされたのです。

 しかし宣言された 9「平和」は、なおこの地をを覆ってはいません。私たちは“既に”と“未だ”の間に生きています。主の降誕に際し、 1「占星術の学者たち」は持てる11「宝」を献げて、乳飲み子イエスを拝しました。12「別の道を通って」とは、彼らが主に従う生き方へと歩んだことを示しています。全き 9「平和」へと14「主の進まれる」行進に私たちも連なり、今を歩む者とされたく願います。

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