「喜びとなり、楽しみとなる」

ルカによる福音書 1章5~20節
マラキ書 3章19~24節

 

 アドベント(待降節)は、クリスマスまで主イエスの降誕を想起すると共に、来臨による全き完成を待ち望む時です。この期節に用いられる色が、主の受難を心に刻むレントの時と同じく悔い改めと節制を表す紫であることは不思議に思われます。

 ルカ福音書はその物語を、預言者17「エリヤ」の再来として現れ救い主の道備えをする洗礼者ヨハネの誕生の次第から書き起こしています。17「エリヤ」再来のことは旧約聖書の末尾マラキ319~に記されており、3「順序正しく」と書かれているように旧約と新約の歴史はここでつなげられています。

 マラキ書で語られているのは、主が圧倒的な力で正邪を裁くその日が来るということでした。成長してその働きに入った洗礼者ヨハネも、悔い改めを使信として告げました(3:1~)。

 やがてヨハネが生まれると告げられつつそれを信じられなかった父ザカリアは、20「この事の起こる日まで」口がきけなくなります。これは罰だったでしょうか。ヨハネの誕生は、14「喜びとなり、楽しみとなる」と告げられています。父ザカリアは自らの思いを超えて実現しゆく主のみ業を沈黙の内に味わい、口が開かれたときその喜びはほとばしり出たのでした(64節)。

 降誕の出来事は、裁きをこえた救いと希望の途がこの世界に訪れたことを告げます。悔い改めの紫は勝利の白へと向かい、罪の告白は喜びの讃美へと変えられていくのです。しかしそれは、私たちとこの世界が救いの出来事を必要とする闇を抱えているということでもあります。そうしたことを沈黙の内に振り返り、喜びの到来を待つ時がアドベントです。

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