「神がすべてにおいてすべてとなられる」

ローマの信徒への手紙 14章5~9節
詩編 90編1~12節

 

 震災への取り組みを機に私たち東北教区とも関係が深まっている台湾基督長老教会(PCT)のシンボルマークは、“燃える柴”です(出エジプト32)。柴のようにはかない存在を、生き生きと燃やし続けてくださる神の力と慈しみがここには示されています。

 ハイデルベルク信仰問答は問1で“生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか”と問い、“私が私自身のものではなく…イエス・キリストのものであることです。…”と答えます。

 伝道者パウロは 8「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです」と語ります。神のために滅私奉公することが人生の目的なのか、と訝しく思われるかもしれません。ここの「ために」との部分には、“~に向かって”との意味があります。“誰も自分自身へと生きず、自分自身へとは死なない。私たちは主に向かって生き、主に向かって死ぬのだ。”とパウロは言っているのです。取るに足りずはかない私たちに主なる神は命を分け与えて豊かに導かれる、だから私たちもこの主を見つめて生き生きと歩んでいこうではないかと呼びかけられています。

 椎名麟三は受洗したとき、“僕はこれでじたばたして死ねるようになったよ”と語ったそうです(遠藤周作『死について考える』)。どのように立派に生きるか、どのように立派に死ぬのかが大切なのではありません。いかにじたばたしようとも、私たちのただ一つの慰め、安心しうる根拠は私たちを見つめ慈しんで導かれる主の側にあります。このキリストと結びあわされて生き、死ぬことを私たちは求めるのです。

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