「主の友となりて」

ヨハネによる福音書 15章11~17節
コヘレトの言葉 4章9~12節

 

 讃美歌461“み恵みゆたけき”のくり返し部分は、かつて“慈しみ深き主の友となりて、御手に引かれつつ天に登りゆかん”と歌われていました。新島八重はこの曲を愛唱し、晩年友人にも“神のよき友となれ”と書き贈っています。

 主の友となるという歌詞は、今日開いたヨハネ1511~に由来していましょう。この晩、弟子たちは主イエスから14「あなたがたはわたしの友である」、13「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と語りかけられました。この言葉に託された深く重い意味を、弟子たちは翌日の主が十字架に進まれたことによって知ったのでした。

 この14「あなたがたはわたしの友である」との主の呼びかけは、弟子たちのみならず私たちにも及ぶものです。そして“主の友となる”とは、この主の迫りに私たちはどう応えるかとの問いを含んでいます。

 16「あなたがたが出かけて行って実を結び」と、次いで語られています。呼びかけに応えて私たちも世に一歩を踏み出し、隣人と友の交わりを結ぶことが主の友となることにもなるのです。18「世」とは、この福音書において迫害や戦いのあるところです。が、応え従って踏み出す16「その実は残る」と主は言われます。

 コヘレト49~には「ひとりよりもふたりが良い」と、友がいる幸いが述べられています。繰り返し「ふたり」とありながら末尾で12「三つよりの糸は切れにくい」と告げられるのは、主の介在が指し示されていると解されます。“主の友となりて”世を歩みゆく確かさと幸いを思います。

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