「新たな旅路へ」

使徒言行録 9章10~19節
創世記 50章15~21節

 

 ヨセフ物語は20「あなたがたは…悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え…救」いをもたらされる、との言葉で閉じられます。数々の愚かを重ね断絶を招いたヤコブの一家を、神は人の思いを超えるみ業をもって和解と祝福に導かれました。そしてその生けるみ手はその後も神の民に伴い、これを導いていると物語は告げているのです。

 今日開いた新約に現れる10「アナニア」と11「サウロ」も、厳しい断絶のこちら側と向こう側に立っていました。サウロはファリサイ派に立つ熱心な「教会の迫害者」(フィリピ3:6)であり、アナニアはこの時狙われていたダマスコの教会メンバーであったからです(2・10節)。ところが二人はそれぞれ、思いがけない生ける神の働きに捉えられました。サウロは激しく迫害を加えていた 5「イエス」こそが、熱心に従ってきたわが 5「主」であることをはっきりと示されました。そしてアナニアはあろうことか仇であるはずのサウロを訪ねて癒せ、15「行け」と有無を言わせず押し出されたのです。およそ理解そして承服し難い思いだったろう彼がそれでも従い17「兄弟サウル」と呼びかけたとき、二人の間の「敵意という隔ての壁」(エフェソ2:14)は崩されたのです。18「目からうろこ」の体験をしたのはサウロだけではありませんでした。アナニアも、そして教会も人の思いを超えゆく聖霊の働きとそれに応えた者たちの手助けによって、断絶から和解へと導かれたのです(26~28節)。

 人の罪、その頑なさはどの時代にも対立と断絶を生んでいます。が、それを超えゆく生ける神の働きがある、このことに励まされ導かれて歩み行きたく願います。

ペンテコステ礼拝 「派遣そして同行」

創世記 45章25節~46章7節
コリントの信徒への手紙 二 4章7~15節

 

 帰還した息子たちから26「ヨセフがまだ生きています」と知らされた父ヤコブは喜びに溢れ、再会を願いました。が彼には、祖父アブラハム・父イサクから受け継いだ約束の地を離れて良いのかとの迷いがあったはずです(28:4・13~15)。そうした彼に神は、エジプトへ下ることを恐れるなと告げられました(3節)。 4「わたしがあなたと共に…下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す」との呼びかけに、ヤコブは若かりし頃旅立った際に聞いた神の言葉(28:15)を思い起こした筈です。まことにその約束に違わずわが人生が主のみ旨とみ業の内に置かれていることに信頼し、晩年にして新たな世界へと 5「出発した」のでした。

 エジプトでファラオと会見したヤコブは自らの流転の歩みを振り返りつつ、その生涯を「旅路」と語っています(47:9)。この言葉には、貧しい「土の器」(Ⅱコリント4:7)のような生涯にも神が大いなる祝福を盛ってくださったとの感謝、そしてやがてはその神に帰り着くとの信頼が込められていましょう。

 今日は、この神のみ旨が今も生きて世界と私たちを導かれることを仰ぐ聖霊降臨日です。小さな私たち一人一人もこの主なる神からそれぞれの旅路へと派遣されていること、そしてこの生ける方の同行にあって日々を歩み得ていることを心に刻みたく願います。

5月のおたより

 先月27日(金)、「虹の集い」の食事会が開かれました。高齢者と一人暮らしの方の会で、年に2回くらい開かれています。お手伝いの方を含めて20名が参加されました。

 礼拝堂で共々に礼拝をまもり、お弁当をみんなで頂きました。なつかしい顔に互いのおしゃべりも弾んだようです。

 さてその後、男声合唱団「コーロ・リベーロ」によるコンサートが開かれました。毎週金曜日、当教会を会場に練習をしておられる合唱団です。ちょうど曜日が重なったので気軽にお願いした次第ですが、なんと立派なプログラムも作成してくださり、日本の四季の歌を中心にたっぷり30分演奏くださいました。

 礼拝堂に響く歌声に皆さんうれしく耳を傾け、アンコール曲ではみんなで声を合わせました。すてきなコンサートをありがとうございました。

 「虹の集い」、次回もお楽しみに。

「わたしたちは知っている」

創世記 44章18節~45章3節
ローマの信徒への手紙 5章1~11節

 

 今日開いた18~34節は、兄たちが2度目にエジプトを訪れた際のユダの嘆願の言葉です。先に持ち帰った穀物は底をついてしまい、再びの買い付けが必要となりました。ですがその際は、末の弟ベニヤミンを同行させるのが約束だったのです(43:1~)。ヨセフに代わってベニヤミンを溺愛し渋るヤコブを、「わたしが保証します。その責任をわたしに負わせてください」(43:9)と説得したのがユダでした。

 エジプトに赴いた弟ベニヤミンと再会しヨセフは涙しつつも(43:30)、或る企てをします。弟が盗みを働いたとの嫌疑をかけ、奴隷として捕え置くと迫ったのです(44:1~17)。ユダは許しを乞い、33「この子の代わりに、この僕を…奴隷として」くださいと願ったのでした。

 あのとき、父の偏愛を受けるヨセフを憎んでエジプトに売り飛ばしたのがこのユダでした(37:26)。その彼が弟の安全を保障し、そのためには自ら身代わりになろうと言ったのです。この背後には、先週見た兄たちの悔い改めがありました(42:21~22)。22年の時を経て、彼らも変わったのです。この兄の言葉にヨセフはもはや耐えきれず 1「身を明かし」、兄弟はついに和解を果たしたのでした。

 併せ開いた箇所で伝道者パウロは、キリストの犠牲にあってもたらされた 1「平和」10「和解」について高らかに語っています。神の身分から人へ、さらには十字架の死へと、思えば大きく変わられたのは 1「主イエス・キリスト」にほかなりません。それは私たちの救いのためでした。この方こそ 2「希望」であり生の根拠であると 3「わたしたちは知っている」、こう呼びかけられています。

「御心に適った悲しみ」

創世記 42章1~25節
コリントの信徒への手紙 二 7章8~11節

 

 ヨセフが解いた通り(41:25~)飢饉が訪れ、 3「十人の兄たち」は買い出しに来て 6「エジプトの司政者」となっていた 6「ヨセフを拝した」のでした。あの 9「夢」(37:7)が現実となったのです。が、自分たちが売り飛ばした弟が20年経ってエジプトの宰相となっているとは考えもしない兄たちは、ヨセフに気づきませんでした。

 強い立場のヨセフは兄たちにスパイ容疑をかけて監禁し、最終的には13「末の弟」ベニヤミンを連れてこさせようとします。ヨセフは報復をしようとしたのでしょうか。でも彼は陰で24「泣」き、厚遇をもって兄たちを帰らせています(25節)。

 ヨセフは兄たちに過去の気づきを願ったのでしょう。13「もう一人は失いました」とヨセフを売ったことをまるで他人事のように語っていた兄たちも、これらのやり取りの中で21「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ」と悔い改めへと導かれていったのです。

 伝道者パウロは異端に翻弄されるコリント教会に 9「悔い改め」を求める厳しい 8「手紙」(10~13章の部分)を書き送りました。そのことに触れ、悲しみにはただ滅びゆく10「世の悲しみ」もあれば、人知を超えて10「救いに通じる」10「神の御心に適った悲しみ」もある、とパウロは語ります。

 ヨセフ物語は「あなたがたは…悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え…救」いをもたらされるとの言葉で閉じられます(50:20)。時に主は私たちに、痛みや悲しみをも与えられます。その中にもみ旨を求める祈りを与えられたく願います。