「忍耐強く走り抜こう」

士師記 16章15~24節
ヘブライ人への手紙 11章32節~12章2節

 

 サムソンの物語(13~16章)は、桃太郎といった昔話のようにユダヤ人の間で語り継がれてきたのでしょう。彼は「ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者」(13:5)との使命を担う者として誕生し、聖別された17「ナジル人」として成長します。生まれてこの方17「かみそりを当てたことがない」その長髪には、神に与えられた怪力が宿っていました。

 「彼は…二十年間、士師としてイスラエルを裁いた」(15:20)とありますが、物語の中の彼は自分勝手に振る舞い、託された力をただ浪費しているように見えます。両親に逆らってペリシテ人の娘と結婚しますが(14:1~)、宴席での余興で負けると腹いせにペリシテ人を30人打ち殺します(14:8~)。さらには妻とその実家とも不仲になった仕返しに、尾を結び合わせ燃える松明を括りつけたジャッカル300匹を放って畑を焼き尽くし人々の怒りを買った上で(15:1~)、ペリシテ人を千人打ち殺すのです(15:9~)。

 やがてペリシテの遊女デリラを見染めたサムソンは、彼女に求められてついに髪の秘密を17「一切打ち明け」てしまいます。髪をそられたサムソンはペリシテ人に捕えられ、目をえぐられ、奴隷とされます。しかし22「彼の髪の毛は…また伸び始めて」いました。見せ物として引き出されたサムソンは建物の柱を両腕に抱えてへし折り、三千人以上のペリシテ人を道連れに果てたのでした。

 この物語をどう読めばよいのでしょう。多くの力を恵みを与えられながら、期待と全く異なる仕方でそれらを浪費するこの世への風刺とも受け取れます。ある随想では22「また伸び始め」た髪とは祈りのことではないか、愚かさと破れを経験しても人は神の前に祈って再び立ち上がることができるのだと指し示されていました。

 併せ開いた箇所で、32「サムソン」も偉大な33「信仰」者の一人に数えられています。破れある人間でありながら、神の力を帯びて勝利し、また苦難をも味わったというのです。私たちはこうした 1「証人」たちに囲まれ、さらには 2「信仰の創始者また完成者であるイエス」との出会いを与えられているのだから、 1「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、…定められている競争を忍耐強く走り抜こう」、こう呼びかけられています。

「神の熱心」

創世記 6章9~14節
ペトロの手紙 一 3章18~22節

 

 “エバン・オールマイティ” という、ノアの箱舟をモチーフとしたコメディ映画があります。現代を生きる主人公エバンの前に突然神が現れ、箱舟を造れと命じます。拒否したエバンでしたが、大量の材木が届き、あらゆる動物たちがつがいで集まり、自らの容姿も聖書のノアのようになるに至って、ついに建造に取りかかります。しかし周囲の人々はこれをあざ笑い、箱舟が完成して雨が降ってきても信じようとしないのです。しかし手抜き工事のダムが決壊、人々は箱舟のおかげで助かったのでした。

 きっと 9「ノア」も嘲笑を受けたことでしょう。 5「地上」には昔も今も 5「人の悪が増し」ています。が彼は 9「神と共に歩」み、22「神が命じられたとおりに果たし」ました。彼は、新たな世界の希望に向けて労したのです。

 9「ノア」とは “慰め” との意味であり、悪の跋扈する「大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」(5:29)と父レメクは名づけたと記されています。ノアは、あざ笑われても希望に向けて日々労する者の慰め手であり応援者なのです。

 映画の中で神は、箱舟物語のテーマは愛でありチャンスなのだと言います。忍耐・勇気・絆をと祈っても神はそれを直接は与えない、そのチャンスを与えるのだと言うのです。

 併せ開いた箇所の18「キリスト」という「正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれた」との言葉は、神が人の悪のゆえに 6「後悔し、心を痛められた」ことに重なります。新たな世界の希望に向けて神は箱舟建造を命じられました。ここで、十字架で陰府へと下られたキリストはそこで罪に19「捕らわれ」た者たちをも救おうとされたと述べられています。世界と私たちは、そのような神の熱心の中を歩んでいます。それぞれに与えられる使信・チャンスに心を開き、受けとめる者とされたく願います。

1月のおたより

 今冬も局地的に大雪が降っています。殊に1月11~12日にかけての新潟地方での大雪のため、JR信越線の列車が晩から朝にかけての15時間以上立往生したのは大変でした。

 その12日朝、NHKニュースを見ていた我が家での会話。「この車内動画、投稿:Sさんって出てるけど…、これってあのSさん?」「三条市に住んでるんだから、あのSさんだろ!、確かめてみて」。SNSで確認を取ったところ、やはり元・当教会員で、現在新潟教会員のSさんでした。新潟市内でのお仕事帰りに乗車され、翌日動き出すまでずっと車両内におられたとのこと。びっくりしました。おつかれさまでした。でも、ちゃんと報道機関に投稿されるなんて、さすが! ですね。

 時にいろんなことに出会う日々。でも与えられたこの2018年には、主の大きな恵みと指し示しがあることを仰いで歩みゆきたく願います。

「あなたの神はわたしの神」

ルツ記 1章7~19節
使徒言行録 16章6~10節

 

 異邦 1「モアブ」の地から 2「ユダのベツレヘム」にやって来て、ダビデ王の曾祖母(4:17)さらには主イエスの先祖(マタイ1:5)となったルツの物語です。

 彼女は 5「夫と二人の息子に先立たれ」たしゅうとめナオミに同行し、見知らぬ異国の地で生きることを選び取ります。落ち穂は貧しい者・寄留者のものであるとのユダヤ人の律法(レビ19:10)を頼って畑に行ったルツは、人格者で貧しい異邦の女にも厚意を示してくれるボアズに出会います。さらにこのボアズはナオミ・ルツの親戚だったのでした(2:20)。ナオミの助言のもと、ルツはボアズに庇護を願い出ます(3:9)。ボアズは正式の手続きを経て(4:1~10)ルツをめとり、皆の祝福の内に子どもが与えられたのでした。

 今日の箇所でルツが言った16「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」との言葉は、この物語全体を貫く通奏低音です。民族・立場・貧富…を越えて人は18「同行」できる、主なる神はそうした尊い決断を見守り仲立ちし導かれる(2:4・12・13・19・20、3:10、4:11・12・14)とルツ記は語りかけるのです。

 第二伝道旅行に旅立ったパウロらは、幻に見た見知らぬ 9「マケドニア人」の訴えに応えてエーゲ海を渡りました。福音はこのようにして、ヨーロッパに届けられたのだと使徒言行録は語ります。隔てを越えての同行を私たちも信仰・結婚・友愛…というかたちで経験し、恵みと喜びにあずかっていることを思います。

新年礼拝 「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」

マルコによる福音書 12章13~17節
申命記 10章12~22節

 

 本日の説教題は、17節の口語訳によります。カイザル(カエサル)はもともと固有の家族名でしたが、やがて歴代のローマ皇帝の称号となっていきました。対立が深まりイエスを殺そうと考えていた人々(3:6、11:18)は、一計を案じ問うたのでした。14「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか」。これはローマ帝国から課されていた人頭税のことで、ユダヤ人には占領国への従属を象徴するものとして悩みの種となっていました。14「納めてはならない」との答を引き出せば反ローマ主義者としてイエスを告発できる、14「納めるべき」と言えば民衆は離反する、そうした15「下心」が込められていました。

 このとき主イエスは、17「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と言われたのでした。これは一見納税を是認したように見えて実は、皇帝はあなたたちはそして誰もが本当に17「神のもの」を17「神に返し」ているかとの深く鋭い問いかけの言葉です。

 14「見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである」と告げられています。殊に人間は神の像として、そしてそれゆえに応答責任を帯びた者として造られていると聖書は語ります(創1:27)。世界も歴史もさらに私たち自身も17「神のもの」であり、大いなる恵みのもとそれらの一部を委託されて私たちは今を歩んでいます。これらの聖書の指し示し、そして主イエスの問いかけを今日の世界と私たちは心して聞かねばならないでしょう。17「神のもの」を経済・国家・主義主張…で支配し、私物化しようとする諸力が跋扈している時代だからです。

 15「デナリオン銀貨」には、ローマ皇帝の16「肖像と銘」が刻まれていました。それ以前に、この年に世界にそして一人一人に“神の像”がしっかりと刻まれている、そのことを心して与えられた2018年に踏み出したいと願います。