「和解の福音」

使徒言行録 20章17~24節
エフェソの信徒への手紙 2章14~22節

 

 第三伝道旅行を終えて出発するパウロが、エフェソ教会の長老たちと別れを惜しんだ箇所です。この時パウロは大きな危険を予期しつつ(22・38節)、22「エルサレム」を目指していました。それはこの旅行中に異邦人教会で集めた献金を、エルサレム教会に届けるためでした(ローマ15:25~)。

 当時吹き荒れていたユダヤ国粋主義はユダヤ人と異邦人の間に亀裂を生じさせ、それは律法問題という形で教会にも影を落としていました。そのような中、パウロは献金運動を通して異邦人教会とユダヤ人教会に橋を架けようとしたのです。互いは共に、キリストの十字架によって招かれ結ばれた兄弟姉妹であるからです(Ⅰコリント1:18~25、ローマ3:29~31)。一致と連帯を再確認し、かつて合意した伝道パートナーシップ構想(ガラテヤ2:9~10)を具体化することをパウロは自らに与えられた24「任務」と考えたのでした。

 しかしそれは危険を伴うことでした。そして実際、パウロはエルサレムで捕縛され(21:27~)、ローマへ囚人として送られることになります(27:1~)。使徒言行録ははっきりと記しませんが、パウロは捕らえられたままで、その生涯を全うしたのだと思われます。

 エフェソ2:14~は、キリストの十字架にあって人は16「神」との16「和解」に招き入れられ、さらに他者との15「平和」にも導かれると告げています。パウロはこの主に召され押し出され、現実の和解のため労したのでした。そして代々の信仰者たちもまた、それぞれの時代において和解のために働きを捧げてきたのです。

「人間の願いと神の計画」

使徒言行録 19章21~34節
エレミヤ書 29章10~14節

 

 今日開いた箇所、またローマ15:19~には、ローマさらにはスペインを目指したいとのパウロの計画が記されています。三回にわたる伝道旅行でローマ帝国東半分で広く宣べ伝えてきた彼は、さらに西に福音を携え行くことを願ったのでしょう。

 しかし意に反して、この第三伝道旅行でのエフェソ滞在はおよそ2年の長きにわたりました(19:10)。使徒言行録に書かれてはいませんが逮捕・入獄があり、さらには開拓したコリント教会に異端が入り込むという難問への対処を迫られたからでした。またこの間パウロは、フィリピ・フィレモンという獄中書簡、ガラテヤ書、コリント書の大半を書いたのでした。

加えて彼は、第三伝道旅行で集めた献金を携えて21「エルサレムに行」くとの使命を帯びていました。それを果たした後ローマへとの願いは、後の逮捕・護送という思いもしなかった形で実現します(27章~)。スペイン行きの願いは、残念ながら叶わなかったでしょう。願いは必ずしも実現しませんでしたが、主なる神は地中海そして世界伝道の礎として彼の働きと生涯を貴く用いられたのです。

 11「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている」と主は告げておられます。私たちの生もまた自らの思いを超えて、大いなる方のご計画に位置づけられていることを仰ぐとき、安心と基盤が与えられるのです。

教会創立130周年記念礼拝 「収穫は多い - 伝道・教育・奉仕」

マタイによる福音書 9章35~38節 
イザヤ書 6章8節

 

 新島襄は1884年末ニューヨーク近郊での湯治中、「…日本ノ地図ヲナカメ、如何シテカ主ノ御国ヲ我カ東洋ニ来ラシメント千思万慮…夜々眠ルヘキ時スラ此一事ノ為ニ思ヲ焦シ、殊ニ我カ東北地方ニ着手セン事ヲ計」りました(「出遊記」)。この新島の幻と祈りは、間もなく1886年10月の宮城英学校(のちの東華学校)創立、1887年3月の当教会創立へと実ったのでした。

 新島の宣教の視点は、1889年11月の書簡に「自由教育、自治教会、両者並行、国家万歳」とあるように、キリスト教の価値観を根づかせ新しい日本の建設を目指すという広いものでした。

 主イエスは、人々が36「弱り果て、打ちひしがれ」神のみ業を必要としていたとき、35「会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、…病気や患いをいや」してその働きを進められました。代々の教会は、この主に従い、伝道・教育・奉仕の広がりをもつ宣教を展開してきたのです。

 時代の激動の中で東華学校は5年で廃校となった一方、当教会は創立130年を迎えました。主イエスは37「収穫は多いが、働き手が少ない。…働き手を送ってくださるように…願いなさい。」と呼びかけておられます。主のみ業は今も続いています。当教会創立の歴史に日本宣教の礎としての東北伝道という遠大な計画が刻まれていたことを受けとめ、私たちもそれそれの働きにおいて主に応えゆくものでありたく願います。

3月のおたより

 昨年7月のおたよりで、当教会のリードオルガン1台が、教区センター・エマオのリード・オルガンのメンテナンス・クラスで修理・調整され、礼拝堂に設置されたことをお伝えしました。

 今回さらに1台が同様に修理・調整され、教会に帰ってきました。その修理段階で、オルガン内部に製造番号の刻印が見つかり、製造年が1913(大正2)年であることが判明しました。この翌年、当教会は東三番丁にデフォレスト記念会堂を献堂していますから、この完成に合わせて入手、用いられたものと思われます。その後、このオルガンは月見岬キャンプ場の小屋に設置され、青年たちの礼拝に用いられました。

 1945年7月、仙台空襲でデフォレスト記念会堂は焼失。そこで礼拝のため、このオルガンを運ぶことになりました。青年たちが月見岬からオルガンを船に乗せ、塩竃からはリヤカーに載せて仙台まで運んできたそうです。

 1996年、月見岬にジレットハウスが献堂されて、このオルガンは再び月見岬で用いられましたが、数年前に風袋が破れて使えなくなっていました。この度、修理のためオルガンを解体すると、ほとんど全ての部分に傷みが進んでいることがわかったそうです。風袋やバルブの修理、鍵盤まわりのフェルトの取替え、さびた金属部品の研磨、緑青のついたリードは酢で洗ってきれいにされ、板に生じた割れ目には薄い板が挿し入れられるなど、ていねいな修理がなされました。新たに譜面台と椅子も作られました。

 ストップを持たない総2列構造の小型なものですが、専門家の方から “響きの美しさ” の太鼓判を頂きました。この3月12日の創立130周年記念礼拝では、その内103年を歩んできたこのオルガンの響きで、主なる神と代々の先人たちを思いつつ賛美をします。心をこめ、大切に修復くださった皆さんに感謝します。

東日本大震災6周年を覚えての礼拝 「祝福があるように」

ルカによる福音書 13章31~35節
申命記 32章10~11節

 

 2011年大震災が起こった2日後に共にまもったのもレント第1主日の礼拝であり、主イエスの受難の使信がより深く響いたことを思い起こします。震災の被害にあっては私たち人間の小ささが、引き起こされた東電福島第一原発事故にあってはその驕りが露わにされました。

 主イエスは受難を予感しつつ、33「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進」む、32「悪霊を追い出し、病気を癒」す、と言われました。この主が被災地にも生きて進み働かれる姿を仰ぎつつ、私たちはあの時を歩んできたように思います。そしてこの主に連なるように、多くの人が働きを捧げたのでした。そうした中小さな一人が助け起こされているならば、神の国は実現しつつあるのだとの主イエスの言葉(7:22)に励まされました。

 一方、主なる神の大いなる慈しみと育みにもかかわらず(申32:10~)、この世はこれを無視し抗い自滅へと向かおうとするのです(34~35節)。35「主の名によって来られる方に、祝福があるように」との言葉は、受難待ち受ける都エルサレムに主イエスが入場された際の群衆の声でした。世と私たちの罪の赦しと解放のために主が十字架へと進まれたその真実を受けとめ、この言葉が再び聞かれるときに、35「祝福」は広く分かち合われるのだと告げられています。