「神の御心ならば」

使徒言行録 18章18~23節
箴言 16章1~9節

 

 パウロが第二伝道旅行を終えて22「アンティオキア」に帰着、しばらくして第三伝道旅行に出発した箇所です。まず言わば喧嘩別れした相手である22「エルサレム」教会 (ガラテヤ2:11~) を訪問していることに驚きます。意見は異なっても、お互いは主なるキリストを宣べ伝えるパートナーであるとパウロは確信していたのでしょう(ガラテヤ2:9、フィリピ1:18)。

 また第二伝道旅行の最後に宣べ伝えた19「エフェソ」は、パウロにとって思い入れのある町だったはずです。旅の当初伝道を計画しつつ、主に阻まれ断念した経緯があったからです(16:7)。約3年ぶりに訪問を許され、町の人々にも好意的に迎えられ、うれしかったことでしょう。が、パウロは21「神の御心ならば、また戻って来ます」とエルサレムに向かったのでした。そしてこの21「御心」は第三伝道旅行において、成就しました。

 9「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」とあります。 9「自分の道」に力を尽くしつつも、大いなるまなざしの内にその私が捉えられていることを知る者の安心、そして強さを思います。

 1886年押川方義は、仙台に英学校を創るにあたって当時ライバル関係にあった新島襄を自らの教会 (現・仙台東一番丁教会) に招き、新島は十字架上で敵のために祈ったキリストの広く高く深い愛こそが私たちを引き寄せまた歩ませるのだと説教しました。自らの思いを超えた21「神の御心」を仰ぎ、この二人もまた信頼を交わしたのでした。

「わたしの民が大勢いる」

使徒言行録 18章5~11節
列王記下 6章15~23節

 

 パウロは 1「アテネを去ってコリント」に着いたときのことを、「わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」(Ⅰコリント2:3)と振り返っています。と共にこの地で「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」(同2:2)といいます。

 コリントは要衝にあって繁栄した、またそれゆえ世俗的でもある港町でした。宣教を開始したパウロは頼もしい協力者に出会いましたが(2・7節)、激しい迫害にもさらされました(6・12節)。

 そうしたある夜、パウロは幻の内に主から語りかけられました。 9「恐れるな。語り続けよ。…この町には、わたしの民が大勢いる…。」この主の言葉と、先のパウロの決意とは響き合っているように感じます。自らの非力を振り返り、パウロはこのとき 9「恐れ」の中にあったのではないでしょうか。でも、自らもこの町もすでに主の慈しみの眼差しの内に置かれていること、そして主はこの先の祝福を見通しておられることを知らされ、パウロは自らの役割に向かう決意を新たにしたのでした。

 敵軍に包囲されうろたえる従者に預言者エリシャは16「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が…多い」と呼びかけ、背後にいる天の軍勢を見せたのでした。この箇所は“何を見るか”がテーマになっています。エリシャは目に映るもののその先を見通す眼差しで、恩讐を越えて事を平和裏に解決してしまいました。

 主イエスがいつも来たるべき祝福から、今のあり様をご覧になっていたことを思い起こします(ヨハネ9:3、マタイ5:3、マルコ4:31等)。この主に信頼しつつ、それぞれに与えられた働きに向かいゆきたく願います。

2月のおたより

 降雪の量はさほど多くはありませんが、やはり寒さのこたえる仙台です。皆さまにまもりをお祈りします。

 まもなく3.11、東日本大震災発生から6年を迎えます。祈りのうちに、あの時と今を結び合わせて3.11を過ごしたく思います。世界各国からも、この日を覚えますとのお知らせが届いています。

 3月11日(土)当日行われる、記念礼拝・コンサートのご案内をします。どうぞお出かけください。

 

 <東北教区 東日本大震災6年記念礼拝>

  14:30~  日本キリスト教団石巻山城町教会 にて

  説  教  佐藤真史 牧師 (東北教区被災者支援センター、いずみ愛泉教会)

  主  催  日本キリスト教団東北教区

   ※  仙台北教会より、自動車乗り合わせで出かける予定です

 

 <超教派による 東日本大震災追悼記念礼拝>

  14:00~  日本キリスト教団仙台青葉荘教会 にて

  メッセージ  潮 義男 牧師 (仙台青葉荘教会)

  特別賛美  Migiwaさん (ゴスペルシンガーソングライター)

  主  催  仙台圏宣教協力会

 

 <3・11祈りのコンサート>

  14:00~  電力ホール にて  入場無料

  W.A.モーツァルト 「レクイエム」 K.V.626   指揮:佐々木正利

  主  催   「3・11祈りのコンサート」実行委員会

 

「神の顔」

出エジプト記 20章2~3節、33章20~23節
コリントの信徒への手紙 一 13章12~13節

 

 説教  北 博 兄 (東北学院大学文学部総合人文学科教授)

「真ん中に立ちなさい、手を伸ばしなさい」

マルコによる福音書 3章1~6節
詩編 85編9~14節

 

 今月11日は、教会・信仰者の社会的責任を覚える“信教の自由を守る日”です。混迷する時代状況にあって、世界も日本も保護主義そして利己主義的傾向を強めています。人権・平和・民主主義…といった追い求めるべき共通の価値が損得勘定に追いやられ、再び危うい道へと進むことを恐れます。

 詩85編は、バビロン捕囚から帰還を果たしつつも復興の困難に直面した人々に語られた歌と言われます。 9「愚かなふるまい」を繰り返す世界に、希望はどこから来るのか。それは 9「主」が 9「平和を宣言され」るところに始まると告げられています。人の世界で11「まこと」と11「正義」を追求することと、11「慈しみ」と11「平和」に生きることは多くの場合相反するのです。が、主のみ業にあってはそれらが11「出会い」11「口づけ」すると印象的に語られています。さらに主は12「天から」13「良いものをお与えになり」13「わたしたちの地は実りをもたらします」と、神と人が和らぐ中で被造世界全体に平和が実現していくとあります。

 この平和の宣言の実現としてもたらされたのが、主イエス・キリストの降誕と十字架の出来事にほかなりません。この主の宣言を受けとめ応えるべく、私たちそして世界は求められています。

 主イエスは、人を道具化するような世のありさまを悲しみ怒りすら表されつつ、 3「真ん中に立ちなさい」 5「手を伸ばしなさい」と呼びかけられました。小さな一人が尊ばれ自らを発揮できる、そうした社会を求めそれぞれに働きたく願います。