めぐみの森なつまつり

 当教会付属の「仙台めぐみ幼稚園」は、2011年3月末をもって37年間の働きを閉じましたが、教会の親子の活動は「めぐみの森」活動として継続されています。

 教会学校、中高生の会、こひつじ文庫、親子グループめだか、子育てママの集いわかぎといったそれぞれの働きがつながって、森のような豊かな場になることを願っています。

 このめぐみの森全体のおまつりが27日(土)14:30~16:00に、教会で開かれます。わたあめ・ケーキ・ヨーヨー釣り・工作コーナー・めぐみ劇場など楽しいコーナーが用意され、100円のチケットで全コーナーをまわることができます。

 どなたもおいでいただけます。子どもたちに声をかけて、おいでになりませんか。楽しみにお待ちします。


「復活に連なる者」

使徒言行録 9章36~43節
イザヤ書 42章5~9節

 

 932から1118まで、ペトロの働きが記されます。エルサレムで起こった迫害によって多くのキリスト者たちが散らされ(81)、結果として各地に教会が生まれました。ペトロはそうした教会を32「巡り歩き」、信徒たちを励ましていたのでしょう。

 その途中ヤッファで、よき奉仕のゆえに人々に愛されていたタビタという一婦人の葬儀に出会ったのでした。39「泣きながら…作ってくれた数々の下着や上着を見せた」との人々の様子に、いつの時代も変わらない信愛の絆と、それを断ち切る死の力の無情を思います。

 ペトロは、祈りの内に40「タビタ、起きなさい」と呼びかけました。かつて主イエスが「タリタ、クム」と呼びかけ少女を死から起こされたことを(マルコ541)、ペトロは思い起こしていたことでしょう。復活の主イエスのみ業は、このとき連なるペトロを通じて顕わされ(34節)タビタは起き上がったのです。

 この箇所に触れて、19351967年の間、郡山・須賀川・猪苗代・西郷村などで伝道・奉仕されたA.アンダーソン宣教師のことを思い起こしました。先生は素朴な信仰を語り、その日本語も達者ではありませんでしたが、その深い愛情と熱心な働きは今なお地域の多くの人に語り継がれています。アメリカからの活動費はそのほとんどを奉仕や援助に充てられ、ご自身は村人から頂いたじゃがいもや野菜をいつも食しておられたと言います。先生は2005104歳で召されましたが、結ばれ養われた親愛の記憶はなお生きて働いています。

 起こされたタビタも何年かの後、その生涯を終えたことでしょう。しかし死を超えて生き続ける大切なものがあることを主の復活は指し示し、その希望は連なる者たちに受け継がれて私たちの許にも届けられています。

「パン屑さえもいただきます」

マルコによる福音書 7章24~30節

 

 説教  八重樫 芙美恵 伝道師 (会津若松教会)

 

 事はイエス様がティルスという地方に入った時に起こりました(24節)。汚れた霊に取り憑かれた幼い娘を持つ女が、「娘から悪霊を追い出して下さい」とイエス様の所に駆けつけてきました。このシリア・フェニキアの女はギリシャ人・異邦人であり、女性であり、汚れた霊に取り憑かれた娘を抱えているという何重にも苦しみを背負って生きてきました。ところがイエス様は「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って子犬(異邦人)にやってはいけない」(27節)というのです。何と無慈悲ともとられる言葉です。しかし女は一途な信仰で「食卓の下の子犬も、子供のパン屑はいただきます」と決然と言ったのです(28節)。

 ユダヤ社会の慣習の深いところでは、悪霊や病は「その人が呪われている」と信じられ、現代よりもはるかに恐れられ忌み嫌われていました。社会から外れた所でひっそりと生きてきた母娘は、今「生命のパン」をひたすら求め、娘と共に社会の一員として平凡な生活に生きてゆきたいと、切実に一縷の望みで主にすがったのです。

 当時ユダヤ社会では極めて難しかった民族や伝統、しきたりという隔ての中垣(エフェソ2:14)が、一切取り除かれた一瞬です。食卓の下の僅かなパン屑はその女にとっては、「大きな大きな神様の生命の恵み」となり、ささやかな娘との平安な日常生活へと戻っていったのでした。この聖書の箇所は、私の召命が深められた孤児院での子供たちの小さな魂の大きな心の傷のささやきでした。

8月のおたより

 5月から始まった会堂の大規模改修は完工に近づき、今は台所など内部の改修が行われています。8月末までに、すべての工事が完了の予定です。すでに屋上はしっかりと防水処理がなされ、外壁も傷んだ箇所を補修の上きれいに塗装されました。

 これまでベージュ色だった会堂・教育館は、ご覧のように新たな装いとなりました。教育館はこれまでより濃いベージュ色となり、礼拝堂はあかね色で彩られました。ただ塔屋正面だけはコンクリート現しの仕様となっています。これはコンクリート打放しに見えて、実は防水処理などを施した後に打放しのように化粧を施す職人技によって仕上げられています。これにより、まっすぐ十字架を擁する塔屋がより際立つようになりました。

 東勝山移転・献堂43年を経た新しい装いで会堂はこれからこの地に建ち続け、主と共に歩む確かさと平和を証ししていきます。集う私たちも新たな思いをもって主のもとに集い、派遣されゆく民でありたく願います。

 写真より、実際に見る会堂の変化はより印象的です。どうぞ足を運んで頂ければと思います。

平和主日礼拝 「希望をもって祈り続けなさい」

創世記 4章19~26節
ルカによる福音書 11章1~13節

 

 先月、ダッカで日本人7人を含む28人が犠牲となった人質テロ事件が起こってしまいました。憲法9条をもち平和的手段で世界に貢献する日本とのかつての評価は、テロに対する空爆攻撃に積極的に賛成し参加する国との見方に変わってきていることを私たちは知らねばなりません。

 創世記4章はカインの末裔が都市を建設し(17節)交易に文化に技術に豊かになる中で(2022節)、攻撃に対して殺戮をも辞さない復讐の連鎖に縛られていったと記します。一方、別の系譜の人間が同じ時代に26「主の御名を呼び始めた」のだといいます。ここには人間の二面性が示されていましょう。人は自己主張の果て憎み殺し合うことも、自らの破れを振り返り祈ることもできるのです。

 1963年ワシントン大行進において“私には夢がある”との演説をしたM.L.キング牧師は、1968年暗殺されるひと月前に“実現せざる夢”との説教をしています。列王記上81719が引用され、夢が実現せず途方に暮れたとしても「あなたは…心掛けてきた。その心掛けは立派である。」その夢は私が実現する、との主の声を私たちは聴くことができると語られています。

 また今日開いたルカ115~を用いて、1957年キング牧師は説教をしています。 5「真夜中」に 5「パンを三つ」求めた男が聞いたのは、 7「面倒をかけないでください。…起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません」との拒絶の声でした。信仰・希望・愛、あるいは社会正義・平和・経済的正義、こうしたパンへの求めは繰り返し置き去りにされてきた、が失望させられてもこの男は戸を叩き続けたのだ、真夜中にも夜明けが来ることを信じて教会は戸を叩き続けねばならない、とキング牧師は語りました。

 祈りは私たちの中で完結するものではなく、主なる神に連なるものです。暗さの中にも、希望をもって祈り続けるべく私たちは召されています。