「聖別と派遣」

ヨハネの手紙 一 5章18~21節
イザヤ書 43章1~2節

 

 20039月に始めた昼の聖書研究会は、今月ヨハネの第一の手紙を読み終え、もう少しで新約聖書の書簡を読了します。

 ヨハネの第一の手紙は、主イエスの大祭司の祈り(ヨハネ17章)を思わせる言葉で閉じられています。19「この世」は19「悪い者」に脅かされていても、信仰者はその力に打ち勝つ19「神に属」し、その方によって20「真実」へと向けられるのだと語られています。

 主イエスは、信じる者を真理によって聖別するのは聖域に囲い込んで祝福するためではなく、世に遣わして神の御心を顕すためだと祈られました(ヨハネ171519)。この世は罪を抱え反逆を企てつつも、神の大いなる愛を頂いています(ヨハネ316)。

 末尾で21「偶像」を警戒すべきことが告げられています。21「偶像」とは神以外の不真実な諸力であり、19「この世」そして信仰者をも誘惑するのです。命よりも経済を優先する政治と社会のあり様を目の当たりにするとき、偶像礼拝をよくよく警戒せよとの聖書の分析の鋭さ深さを思います。

 主は 1「恐れるな…あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」と宣言されます。毎週の礼拝において私たちはこの言葉によって新たにされ、それぞれの世の歩みへと派遣されるのです。

クリスマス礼拝 「平和の計画」

テトスへの手紙 2章11~14節
エレミヤ書 29章10~14節

 

 “キリストがベツレヘムに生まれ給うこと千度に及ぶとも、汝が心の中に生まれ給わずば汝が魂は捨てられてあり”、17世紀ドイツの宗教詩人、A.シレジウスの言葉です。

 今日開いたテトス211~に美しく楽しい物語はありませんが、クリスマスの訪れがなぜ私たちの喜びとなるのかがはっきり示されています。

 11「神の恵みが現れました」とは、神の計画がついに満ち主イエス・キリストが私たちの世界においでになったことを指しています。なぜ11「救いをもたらす」ものであるのか、それはこの方がついには十字架で14「ご自身を献げられ」て私たちを14「あらゆる不法から贖い出し」神の祝福へと結び合わせてくださるからです。そしてこの救いは時を超え場所を超えて、11「すべての人々に」開かれたのです。

 11節と同じ言葉を用いて、13「キリストの栄光の現れを待ち望む」と主イエスによる希望の完成が指し示されています。大いなる希望はすでに与えられつつも、それは未だこの世界を覆ってはいません。私たちは“すでに”と“未だ”の間を、神の計画の中を歩んでいるのです。

 預言者エレミヤは、主が約束されたのは11「将来と希望を与える」11「平和の計画」だと告げました。悩みと恐れが交錯しても、世界と私たちはこの主の大いなる計画の内に置かれていることを受けとめ、今を歩みたく願います。

2015 クリスマスメッセージ

 上の絵は、15世紀フランドル派の画家トット・シント・ヤンスによる“キリストの降誕”の一部です。世の暗闇のただ中に、幼子キリストが光として来られたことが印象的に描かれています。

 振り返って4年前の震災時、私たちも闇の深さと心細さ、そこに灯される光の大切さを身をもって味わいました。その中で私たちは自らのありのままの大きさを振り返り、それゆえ自然に助け合いました。でも日常が戻る中で、そうしたある意味大切な自覚をまた忘れつつあるのかもしれません。

 キリスト降誕の知らせは、まず野宿していた羊飼いに告知されたと聖書は記します。その際歌われた「地には平和、御心に適う人にあれ」とは、どういうことでしょう。すべての人にあれ、ではないのでしょうか。このときまず羊飼いたちが、「御心に適う人」として見出されたことを心に留めたく思います。彼らは、闇の深さと自らの小ささを知った人たちでした。自らの本当の大きさを知り、それゆえ光を必要とする者は、みな「御心に適う人」なのです。そのような一人一人のために御子イエス・キリストは地に降られ、希望と平和の光となられました。

 そんな光は必要ない、必要な光は自ら作り出すと、世は自らの大きさを過信する誤ちに再び向かっているのではないかと恐れます。イブの晩には、ろうそくの光を一人一人受けつぎ分かち合う礼拝をまもります。そのように、地に灯された希望と平和の光を共々に受けとめる者とされたく願います。

「インマヌエル」

マタイによる福音書 1章14~25節
詩編 23編1~6節

 

 23「神は我々と共におられる」という意味の23「インマヌエル」は旧約で、預言者イザヤが語った言葉として3回現れるだけです(イザヤ7148810)。紀元前8世紀、南王国ユダは大国の脅威の中で危機的状況にありました。そうした時にこそ神が共にいてくださることに固く立ち続けるべきことをイザヤは告げました。

 神の民として歩んできたイスラエルの民にとって、神が共におられることは常日頃から肌身で感じていたことでしょう(詩23編等)。が、神のみ旨はそうしたことにとどまらず、世界の現実の只中についには一人の子として受肉するとイザヤは預言したのでした。

 それから700年余、イエス・キリストが誕生されたことこそこの預言の成就だとマタイ福音書は語りました(23節)。そしてこの23「神は我々と共におられる」ことが、その恵みを仰ぐ者を今もこれからも支える力だとこの福音書は語ります(18202820)。

 以前「恵みといつくしみとが伴うでしょう」と訳されていた詩236を、新共同訳は 6「恵みと慈しみはいつもわたしを追う」と語ります。悩みや危機の現実に私たちが右往左往していた時にも実は神が伴っておられたことを、私たちは後になって振り返り、感謝と共に神の真実を知るのです。

12月のおたより

 クリスマスを待ち望むアドベントに入りました。その最初の日11月29日(日)に、今年も「アドベント・クランツを作る会」が開かれ、教会内外の約20人がクランツやリースを作りました。

 その材料として今年も杉の枝を、仙台市秋保の岡崎牧場から頂きました。しかも届けて頂きました!。いつもありがとうございます。

 岡崎牧場は、200,000㎡の敷地をもつ広大な牧場です。ここの牧草は、動物たちの餌や寝床として毎日、仙台市動物園に運ばれています。ゲストハウスでは、フラワーアレンジの講習が行われ、花材やパウンドケーキが販売されています。教会メンバーのE姉がご活躍です。またこの場所は戦後最初の仙台市長、岡崎栄松さんのご実家でもあり、“適々荘”という名の素敵な書斎が建っています。

 この恵み豊かな場を誰でも楽しむことができます。いちどお訪ねしてみてください。

 

= グリーンフィールド えむ =

太白区秋保町長袋戸崎64   TEL 022-399-2636

営業:10:00 ~ 16:00  

お休み:月曜(祝祭日の場合は翌日)・金曜

(ただし、1・2月は土・日・祝日のみの営業)

 

 

「喜びの歌」

詩編 126編1~6節
ルカによる福音書 1章39~45節

 

 詩編126編は喜ばしいトーンの歌と感じられるかもしれませんが、当時の状況には厳しいものがありました。バビロン捕囚からの解放、都エルサレムへの帰還が実現すると聞いて 1「夢を見ている」ようになったのもつかの間、実際に到着した故国の荒廃は民の士気を挫き、再建を阻んだのです(イザヤ599等)。

 そうした中、詩人は 2・5「歌」おうと呼びかけました。囚われの歴史を主が断ち切ってくださったように、悩みの中にも 2「そのとき」を主はもたらされる。だから今 5「涙と共に種を蒔」き続けよう、やがてその歌は 2・5・6「喜びの歌」に変えられる。こう民を励ましたのでした。

 私たちが知っているように、賛美歌は喜ばしいトーンのものだけではありません。失意・恐れ・悩み…に際しても出会い導かれる主を、歌いつつ仰ぐのです。

 ルカ福音書は、降誕を物語る中で多くの歌を紹介します。それは少女が(147~)、また老人が歌ったものでした(167~、229~)。主は小さな者に出会われその口に歌を授けられる、その歌は困難ある現実を突破しゆく希望の歌・喜びの歌となると福音書は語っているように思います。