「いや、既に父を見ている」

ヨハネによる福音書 14章1~14節
出エジプト記 33章18~23節

 

 人が神の20「顔を見ることはできない」というのは、人から神へと到る道はないということを表していましょう。占いや口寄せが聖書において禁じられているのも、このことによります(レビ1931等)。とすれば、私たちはどのようにして神に出会うことができるのでしょうか。

 深い悩みにあって神を求めたモーセに、20「あなたはわたしの顔を見ることはできない」と言われながらも、神が22「栄光」をもってその傍らを通り過ぎられたという故事は、神が小さな私たちに自ら近づいてくださる方であることを示しています。

 神自らが近づき迫ってくださることによってのみ、私たちは神と出会うことができます。そして世と人に対するこの神の憐れみは、主イエス・キリストとして「わたしたちの間に宿られ」(114)るに到りました。主イエスに触れることを通して、神の顔を仰ぐことができる幸いが与えられたのです。

 ゆえに 7「私を知っているなら…父をも知ることになる。…既に父を見ている」、 6「わたしは道であり、真理であり、命である」と、主イエスは言われます。主イエスを通ってどこか祝福の地を目指すのではありません。真理であり命である方が私たちに近づき伴われる、この主イエスと共に生きることが道なのです。

めぐみの森なつまつり

 当教会付属の「仙台めぐみ幼稚園」は、2011年3月末をもって37年間の働きを閉じましたが、教会の親子の活動は「めぐみの森」活動として継続されています。

 教会学校、中高生の会、こひつじ文庫、親子グループめだか、子育てママの集いわかぎといったそれぞれの働きがつながって、森のような豊かな場になることを願っています。

 このめぐみの森全体のおまつりが29日(土)14:30~16:00に、教会で開かれます。わたあめ・ケーキ・ヨーヨー釣り・工作コーナー・めぐみ劇場など楽しいコーナーが用意され、100円のチケットで全コーナーをまわることができます。

 どなたもおいでいただけます。子どもたちに声をかけて、おいでになりませんか。楽しみにお待ちします。

「忠実」

ルカによる福音書 16章1~13節
ホセア書 6章4~6節

 

 説教  上野 和明 牧師 (仙台愛泉教会牧師)

 

 この話は難解なものとされています。なぜわかりにくいのかというと、主が何を私たちに伝えようとしておられるのか、主の意図がどこにあるのか、それを読み取るのが難しいから、ということができます。ではなぜ主の意図がわからないかと言えば、前半のたとえ話と後半の勧めがうまく結びつかないからと考えることができます。使用人としては明らかにたちの悪い部類に属する人物、その人物を主は褒めている、その人物のしたことから学べと言っている。当然、主が不正をほめるはずがない。主が御言葉として残してくださったこの物語、を大事にしたいと思うのは当然のことです。大事にするために私たちはそこから何を学んだらいいのか。

 私たちは、やはり主の勧めの中心にあることを大事にするべきだと思います。それは「友を作ること」いいかえれば「交わりを大事にすること」ということです。交わりはこの世の富など比べ物にならないくらいに人間にとって重要なものであるということを主は私たちに教えてくださっています。ここで言われている交わりとは神様との交わりと人々との交わりの二つです。なんといっても、神様こそが最も交わりを重視しておられるのです。それは神様に背いたわれわれ罪びとを見捨てることなく、常に手を差し伸べてくださっていることにあらわれています。何よりもわれわれ罪びとの救いのために主を十字架にかけてくださるその姿勢によく表れています。交わりの重みを味わいたいと思います。

8月のおたより

 今年の「平和七夕」が無事終了しました。今年は、ヒロシマ・ナガサキ被爆70年、平和七夕40回目ということで、七夕本番に先立ち15日、仙台市福祉プラザにて、歴史紹介や紙芝居の読み聞かせの展示会が行われました。約350名の方が訪ねられたとのことです。

 「平和七夕」本番は6~8日、クリスロード商店街のダイエー前にて行われました。例年以上の暑さでしたが、多くの人出があり、すべて手づくりの折鶴でつくられた吹き流しは注目を集めていました。河北新報やNHKニュースなどでも、繰り返し報道されました。いま、私たちの国は戦争できる国へと変えられていくのではないかとの大きな危機感の中、「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」「核兵器廃絶」を目指して平和を求める活動は、多くの人の思いに響いたものと思います。

 「仙台平和七夕のブログ」(http://blogs.yahoo.co.jp/ma7143942/)に、詳しい報告があります。ご覧ください。ご奉仕された皆さん、お疲れ様でした。

H兄・R姉の家族 “さくら”
「私も3年前から『ノーモアヒロシマ・ナガサキ』を訴えています」

「新しい掟」

ヨハネによる福音書 13章31~35節
レビ記 19章13~18節

 

 これまで熱心に従ってきた弟子の一人31「ユダ」があろうことか21「裏切」るために出て行ったとき、主イエスは31「今や、人の子は栄光を受けた」と言われました。受けることが決定的になったのは十字架の屈辱と受難であるのに、それがなぜ31「栄光」なのでしょう。

 世は徹底的に、神の御旨なる主イエスの訪れを拒否しました。にもかかわらず主イエスは身と命を注ぎ出して世を愛したのです(316)。主イエスは何かを受けることによってではなく、与えることによって31「栄光」を顕わされたのでした。

 その主イエスはここで、34「わたしがあなたがたを愛したように…互いに愛し合いなさい」との34「新しい掟」を与えられました。今日の旧約で開いたように、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ1918)との掟は昔からあります。34「新しい」と言われるのは、それが守るべき34「掟」としてではなく、主イエスが十字架の犠牲をもってわたしたちを愛された真実から告げられている点です。Ⅰヨハネ258は、この主イエスの真実の光こそが破れある人間を愛へと導くのであり、それは常に新しく起こり来たることだと告げています。

 繰り返される世の乱れと反逆に心乱れる今日ながら、なお希望を仰ぎます。そのような世を主イエスは愛して栄光を顕わされ、その主に連なる者を招いておられるからです。

平和主日礼拝 「血肉を相手にするものではない」

エフェソの信徒への手紙 6章10~20節
詩編 133編1~3節

 

 集団的自衛権に道を開く安全保障関連法案がすでに衆院を通過し、参院で審議されています。約9割の憲法学者が違憲と指摘、各社の世論調査でも過半数が今国会での成立に反対という中、強行採決が繰り返されるならば大きな禍根を残すでしょう。

 憲法第9条をもち平和的手段で様々に世界に貢献する日本人との評価は、最近のテロ被害に現れているように明らかに変わってきました。“戦争できる国”への舵取りは、国際情勢の中で対立・危険を増大させるものと危惧します。

 エフェソ書簡の著者は、「今は悪い時代」(516)とした上で、12「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではな」いと語ります。12「血肉」とは、限りある人間の弱さを指しています。私たちの戦いは対立する他者へと向かうものではなく、互いの弱さにつけ込む12「支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊」にこそ抗すべきものであることが指し示されています。

 沖縄の民意を無視しての新基地建設が目論まれている辺野古では、座り込みで反対の意思を示しつつ対峙する人たちにもなお語りかける活動が港で11年、資材搬入口の米軍基地ゲート前で1年続けられています。

 「心の貧しい人たちは、幸いである。天の国はその人たちのものである。…柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。…平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ53~)と主イエスは言われました。これは理想論でも、この世を離れた天国を指し示すものでもありません。貧しく小さくても日々に平和を実現する者こそ、地の主権者であり、神の祝福を受けるとの宣言がここにはあります。