「洗足」

ヨハネによる福音書 13章1~11節
ホセア書 14章1~4節

 

 赤ちゃんが成長して歩き始める時期は目を離せず大変でありながらも、親にとってはうれしい時でしょう。その子が自らの道を歩み出す一歩であるからです。

 人間の神からの離反をテーマとしたホセア書には、 1「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した」、 3「…腕を支えて、歩くことを教えたのは、わたしだ」、 4「わたしは身をかがめて食べさせた」との神の愛情が語られています。特に 4「軛を取り去り」 4「人間の綱、愛のきずなで…導き」とは、歩き出した人間がどう歩むかを心配しながらも規制をもってではなく、信頼と期待をもってその足取りを見まもろうとの思いを示していましょう。

 しかし人間の離反と放浪は続き、これを再び祝福へと呼び戻すため神は主イエスとしてこの地に降り立たれたのでした。

 十字架につけられる前の晩、主イエスはあたかも奴隷のように身をかがめて弟子たちの足を洗われました。なぜ 5「足」だったのでしょうか(89節)。歩き回った 5「足」は一番汚れるところであり、それでも各々はその足でなお歩み行かねばならないからです。 1「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」この洗足には、自らの十字架で世の罪を清めようとの決意と、それゆえあなたたちは希望と平和へと歩み行けとの期待・派遣が込められていることを心に刻みたく思います。

「再び栄光を現そう」

ヨハネによる福音書 12章27~36節
詩編 19編1~15節

 

 24「一粒の麦」としての十字架上の死を直視された主イエスは心を騒がせられながらも、27「わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」と祈られました。すると28「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」との神の言葉が響いたのでした。

 既に現された栄光とは何を指しているでしょうか。これまで主イエスは6つの「しるし」を顕わしてこられたと、この福音書は記してきました(21145462149161217)。「わたしの時はまだ来ていません」(24)と言われつつも、その「時」に連なる慈しみ憐れみをもってなされたみ業の数々です。そして今や主イエスは自らの命をも注ぎ出して、27「この時」なる十字架へと進まれるのです。

 27「御名」には、神の揺るぎない意志との意味があります。教父アウグスティヌスは、すべての創造に始まり歴史がこの神のみ旨によって導かれ支えられてきたことを既に現された栄光に数えています。そして27「この時」、主イエスの十字架において世の救いという神の大いなる意思が現されようとしているのです。

 この主を仰ぐ者は、“みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ”と祈ります。27「再び栄光を現そう」との神の慈しみ憐れみがこの今にも実現しゆくことを求め、行動するのです。

7月のおたより

 先月お知らせした「新島襄ゆかりのカタルパ植樹式」は、予定通り628日(日)約40名の参加を得て行われました。翌日の新聞に記事が掲載されました。

 さてその週の713日(水~金)、当教会からの有志9名が京都・同志社と西宮・神戸女学院を訪ねる旅に出かけました。いずれも当教会と歴史的関わりが深く、会衆主義キリスト教を源流とする学校です。両校ともそうした繋がりを覚えて快くお迎えくださいました。同志社では礼拝堂や新島旧邸などの重要文化財の建物、神戸女学院では昨年やはり重要文化財の指定を受けたW.M.ヴォーリスの設計による美しい校舎群を見学しました。

 さて、同志社のキャンパスには、両校、そして当教会をも繋ぐ或るものがあります。写真にある、石造りの牛です。これはかつて大阪の外国人居留地にあったもので、幼い頃のC.B.デフォレスト先生はこの牛に乗って遊んだのでした。その後、父親J.H.デフォレスト宣教師の赴任に伴い仙台に移住、大学を卒業して自らも宣教師となられたC.B.デフォレスト先生は、思いがけず同志社でこの牛と再会し、そのことを回想録に記しています。1892年(明治25)年にこの像は、博物室展示品として寄付されていたのでした。

 C.B.デフォレスト先生はその後、神戸女学院第5代院長に就任、岡田山移転ならびにキャンパス建設を果たすと共に、アジア・太平洋戦争の大変な時代に学院の舵取りをなさいました。1973(昭和48)年94歳で召天され、仙台北山の墓地にご両親と共に眠っておられます。

 それぞれの時代を神に従って生きた人々の歩みによって、歴史が重ねられてきたこと、そして私たちも同様に今に置かれていることを胸に刻む旅となりました。

 

「一粒の麦から」

ヨハネによる福音書 12章20~26節
ルツ記 2章11~16節

 

 今日開いた箇所の前段にある主イエスのエルサレム入城からが、主イエスが十字架へ挙げられるまでの受難週の記述です。これまで主イエスの時はまだ来ていないと繰り返されてきた中(2476830820)、ここで主イエスは23「人の子が栄光を受ける時が来た」と明かされました。

 その23「栄光」とは、歓呼を受けて入城されたあり様を指しているのではありません。24「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」との言葉を通して、主は十字架で遂げられるご自身の死こそがそれであると告げられたのでした。

 種となった24「一粒の麦」は何倍もの収穫に至り、それは「命のパン」(635)として人々を養います。ちょうどこの時、20「何人かのギリシア人」が主イエスを求めてやって来ていました。主イエスの十字架はこの24「地」に、広く世界の人々が与り得る救いの礎として刻まれたのです。

 私たち自身も24「一粒の麦」としての命を与えられています。25「自分の命を愛する」とはその命を自らのためだけに費やすことであり、25「自分の命を憎む」とはその意味・意義を訊ねつつ用いていくことです。そのことを通して、私たちも十字架の主に連なることができると教えられています(26節)。

「葬りの日のために」

ヨハネによる福音書 12章1~11節
詩編 40編1~12節

 

 ベタニアでの塗油のお話はマルコ・マタイ福音書にもありますが、ヨハネ福音書でそれはラザロ・マルタ・マリアの家での出来事だとされています。

 主イエスによって死から起こされたラザロは、ただそこに 1「いた」とだけ記されています。 9「大群衆」が見物に押し寄せたようですが、本人は再び日常に呼び返された恵みを静かに噛みしめていたのでしょう。マルタはいつものように(ルカ1040 2「給仕」して感謝を表していました。

 マリアは驚くような仕方で、主イエスに応えました。 3「純粋で非常に高価なナルドの香油」を、主イエスの足に注ぎかけたのです。この香油は、兄弟ラザロの 7「葬り」のために用意されたものであったかもしれません。 3「家は香油の香りでいっぱいになった」のでした。

 この塗油は 7「わたしの葬りの日のため」の備えとなった、と主イエスは言われました。マリアらは知る由もありませんでしたが、主イエスは 1「六日」後に迫っていた十字架の死を見据えておられました。

 主イエスは自らの身も命をも注ぎ出す愛をもって、私たちに近づき関わってくださいます。その主に私たちはどう応えましょう(讃美歌513)。ここで、マリアの行為だけが称えられているのではないと思います。私たちは日常に生きる者です。でもそのささやかな歩みをもって自らなりに主に応えていこうとするとき、課題ある日々の歩みにもかぐわしい恵みがもたらされることをこの出来事は告げています。