「わたしは命のパンである」

ヨハネによる福音書 6章34~59節
イザヤ書 53章1~6節

 

 五つのパンと二匹の魚で満たされた人々が追い求めてきたとき、主イエスは主なる神そしてご自身が為し続けておられる神の国を目指す業にあなたも加わりなさい、それこそが27「いつまでもなくならない…食べ物」としてあなたを真に生かし続けるのだと教えられました(2233節)。先週触れたとおりです。

 34「そのパンをいつもわたしたちにください」と主に倣って私たちも歩みたいと願った人々に、主イエスはこの私を食べよと言われました。主なる神そして主イエスに連なって働き真の命に生きるためには、罪という断絶を超えて“キリストと一つ体となる”(聖餐式式文)ことが必要であったからです。

 35「わたしが命のパンである」とのこの言葉は、ひどく不興を買いました(41節~)。しかしこの主イエスの言葉には、あなたがたが真の命に生きるためならば私が犠牲になろうとの十字架へと向けた大いなる決断と招きがあったのです(3840節)。

 主イエスの十字架の恵みにあずかる者は、こうして主なる神そして主イエスが目指しておられる神の国への働きに参加するのです。ゆえに主イエスは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。…あなたがたはわたしの友である。」(151214)と言われました。今日歌う讃美歌419にも、“主は…その身をパンとして与えてくださる” だから “さあ、共に生きよう” と呼びかけられています。

「いつまでもなくならない食べ物」

ヨハネによる福音書 6章22~33節
イザヤ書 55章1~3節

 

 26「満腹したからだ」こう聞くと、あぁこの人たちは主イエスからたしなめられているのだ、と私たちは早合点しがちです。でもこの人たちは、五つのパンと二匹の魚で満たされた体験から(115節)ただならぬものを感じて、主イエスを追い求めてきたのでした。シカルの井戸辺で出会った女性と同様(47~)、この時点で彼らは実際のパンを求めていました。がここでも、主イエスとのやり取りは深まっていきます。

 主イエスは人はパンだけでは満たされないのだと前置きされ、27「永遠の命に到る食べ物のために働きなさい」と勧められました。応えて人々が28「何をしたらよいでしょうか」と問うと、神の国のために働くこと自体が27「食べ物」なのだ、父なる神も(3233節)私も(27節)そうした27「いつまでもなくならない…食べ物」を世と人々に分かち続けている、と教えられたのでした。

 シカルの井戸辺で出会った女性が神の祝福へと繋がれていった中で主イエスが元気を回復され、父なる神の「御心を行い、その業を成し遂げること」(434)こそ「わたしの食べ物」(同)なのだと語られたことを思い起こします。

 それは私たちにも当てはまることなのだと、このとき主イエスは教えられたのでした。この29「神がお遣わしになった者を信じ」、その業に連なり働くとき、私たちもまたこの不思議な食べ物によって養われ続けるのです。昨日は、東日本大震災で由緒ある礼拝堂を失われた福島教会の新礼拝堂献堂式でした。困難の中で主を仰がれた方、信じて捧げられた方、自らその労を分かち合われた方々がそれらに倍するよろこびを共にしておられるのを見るにつけて、この主の言葉のまことを思わされたました。

教会創立128周年記念礼拝 「愚かさをも覚えて」

ルカによる福音書 23章13~25節
サムエル記下 24章1~10節

 

 1930年に日本組合基督教会と教派合同を果たした教派に、日本クリスチャン教会があります。19世紀初頭アメリカで誕生したこの教派は初めての海外宣教地として日本を選び、1888年に石巻クリスチャン教会(現・石巻栄光教会)を創立、のち宮城~岩手、栃木、東京の3地域に伝道しました。合同時点で、16教会・11幼稚園・教職26名・信徒1805名を有していました。

 日本での教派合同には、前年アメリカにおける同様の教派合同が影響しています。アメリカでも会衆主義教会に比べればクリスチャン教会は小教派でしたが、両教派は合同して会衆主義クリスチャン教会 =Congregational Christian Church= という第三の名称を名乗りました。

 これに対し、日本では日本組合基督教会の呼称が継承されたのでした。クリスチャン教会の指導者松野菊太郎は、この合同によってクリスチャン教会が組合教会に吸収されたのではなく新しい教会が誕生したのだと当時強調しましたが、そうした意識が尊重されていたかは疑問です。

 1969年、日本基督教団と沖縄キリスト教団が“合同”した際も同様のことが起こりました。小さな者を慈しまれたイエスを主と仰ぎながら、大が小を飲み込むことをあたりまえとするような無定見な愚かさを私たちも抱えているのではと恐れます。

 ルカ福音書は主イエスの裁判の場で23「そして、その声が勝った」(口語訳)と、無定見な人々の声が十字架刑を決定づけた様を描きます。世と私たちに共通する愚かさが主を十字架へと追いやったこと、にも拘わらずその十字架上の死が私たちに赦しを与えることをもう一度心に刻みたく思います。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。」(ヨハネ514)。

3月のおたより

 七ヶ浜町にある当教会の研修所、月見岬ジレットハウスはあの大震災のとき奇跡的に津波被害を免れました。が、周辺の住宅は軒並み全壊となる大きな被害を受けました。ただこの地域では揺れに津波の到来を予感して避難した人が多く、犠牲となった方は他の町より少なかったのです。

 ジレットハウス周辺では被災した住宅の撤去も終り、現在、堤防の嵩上げ工事が行われており、続いて県道の拡幅・嵩上げ工事が行われることになっています。これら工事の関係で県から敷地の内150㎡ほどを譲り受けたいとの打診があり、教会としてこれを受ける方向で協議を進めています。今後、堤防に改修の必要が生じた場合に備え県有地としておきたいとのことで、ジレットハウスの使用に影響を及ぼすものではありません。正式には、来る4月の教会定期総会での審議を経て、正式決定します。

 また県道の形態が変わることから、フェンス・門扉の改修も必要となりそうです。県と細かく詰めて、より使いやすいものにしたいと願っています。

 近年、ジレットハウスは一般利用はともかく、修養・研修の利用が減っています。宣教の働きのために建てられたこの施設を、有効活用せねばとの声が部会内でもあがっています。これについて、福島の放射能被災者の保養プログラムのための利用、また七ヶ浜町で開拓伝道を始めた他教会の礼拝のための利用の可能性が、最近になって浮上してきました。

 ひとつひとつのことに向き合い、主のお働きによりよく用いられるべく整えていきたく思います。どうぞ覚えてお支えください。

「わたしの業が証しする」

ヨハネによる福音書 5章31~40節
出エジプト記 3章13~14節

 

 主イエスの十字架を描いた絵画の中でも、16世紀ドイツの画家M.グリューネヴァルトによるイーゼンハイム祭壇画は、主が凄惨な死を引き受けられたことを強烈に訴えます。そして十字架上で息を引き取られた主イエスの右側には、洗礼者ヨハネが「あの方は栄え、わたしは衰えなければならない」(330)との言葉と共に描かれています。ヨハネは主イエスより先に殉教しましたから(マタイ141~)この場にいた筈はないのですが、彼が指し示し続けた主イエスの33「真理」はここにこそあることを伝えるべく、画家は彼を登場させたのでしょう。

 しかし、主イエスが神から来た証拠を示せとユダヤ人に迫られたとき、私はヨハネの証しをも必要としない、36「わたしが行っている業そのものが」証しすると言われたのでした。主イエスがなさったみ業、この福音書が「しるし」(211等)と記すその一つ一つは、驚きによって神を指し示しているのではありません。「神の国は近づいた」(マルコ115)との宣教の言葉が、病み、悲しみ、差別されている小さな一人一人にも確かに実現したそのしるしなのです。そして主イエスは、その恵みが私たちにおいても実現するために十字架へと進まれたのです。

 出エジプト314には、神の名前が「わたしはある」という意味であり、原初・現在・未来のいずれにおいてもそう宣言される方であることが示唆されています。ヨハネ福音書は、このことを「初めに言があった」(11)と記しました。この方は他の証明を必要としません。そしてこの方のみ旨と業は、主イエスを通して私たち一人一人にも届いています。