「ゆだねられているもの」

テモテへの手紙 一 6章2~10節
創世記 9章1~17節

 2世紀初め、地中海世界を中心に成長していった教会は異端との戦いを経験する中で、福音の何たるかを確認していきました。現れた異端の中には 5「信心を利得の道と考え」て、現世利益を求めるものもあったようです。

 これに対しテモテへの手紙の著者はいくぶん皮肉っぽく、確かに本当の信心は 6「大きな利得の道」だと言えよう、と言います。なぜなら自らの生を超えて(7節)神を仰ぐ者は 6「満ち足りることを知」り、 9「欲望」から解放されるからです。

 この箇所以降、著者は20「ゆだねられているもの」という言葉を多用します(Ⅱテモテ1:12・14、2:2)。私たちが今手にしているもの、それは 7「何も持たずに…生まれ、世を去るときには何も持って行くことができない」私たちが恵みにあって神から委託されているものだと知るときに、それらを正しく有効に用いることができるとの指し示しがここにはあります。

 ノアの洪水物語で、神は新世界の出発にあたっての再祝福・再契約を人間だけではなく動物たちにも与えられました(4・10節)。ゆだねられた世界の管理を人間たちが正しく果たすか、動物たちはお目付け役としての位置を与えられているのだと言えましょう。このとき神は、自ら世界を破滅させることは二度としないとの憐れみのしるしとして虹を与えられました。人間はこの恵みを頂くと共に、ゆだねられた世界に調和の虹をかける責務を合わせて与えられていることを思います。

1月のおたより

 1月12日、遠く群馬よりおいでくださった山下智子先生(新島学園短大宗教主任)は、午後の伝道講演会にて新島八重の生涯についてわかりやすくお話しくださると共に、午前の礼拝では新島襄が仙台にて行った説教に触れてメッセージをくださいました。

 すでに大河ドラマ”八重の桜”は完結しましたが、そうした訳でさらにもう一回新島のことについて触れます。

 新島襄が説教したのは、残念ながら当教会においてではありません。1886(明治19)年5月30日に仙台日本基督教会(現在の仙台東一番丁教会)にて、“愛をもってこれを貫く”という説教がなされたのでした。これは原稿も残っています。

 実は、同教会の押川方義牧師と新島襄は、仙台に英学校を創るにあたって当時ライバル関係にありました。この年二人は何度か会談を重ねましたが、一致を見るに至りませんでした。そうした中で押川は新島を礼拝に招き、新島は十字架上で敵のために祈ったキリストを指し示して、この広く深く高い愛こそが私たちを共々に引き寄せ、今も働きかけて私たちを歩ませるのだと説教したのでした。

 それぞれの主義主張を大切なものとしつつも、そうした違いを抱えたそれぞれを招きとり用いられるキリストにあって信頼を交わして働き得ることを二人は内に感じていたのではないでしょうか。

 この年、新島は宮城英学校(後の東華学校)を、押川は仙台神学校(現在の東北学院)を創立します。こうしてそれぞれの働きに向かいつつも、主への祈りの内に連帯の思いを覚えた二人ではなかったか、そう思うのです。

当日の説教原稿、その冒頭部分

初行に「押川君ノ教会」、末尾に「愛以貫之」

「そのみ旨を訊ね求めつつ」

テモテへの手紙 一 4章1~5節
詩編 79編8~13節

 テモテへの手紙が書かれた2世紀初め、教会は国家の弾圧など外との戦いのみならず、異端という内なる戦いも経験しました。この手紙には、霊・精神を尊いものとし物質・肉体を価値低いものとするグノーシス主義の影響を受けた者たちが 2「偽りを語る者」と名指しされています。こうした霊肉二元論は3節に見られるように禁欲主義として、また時には逆に放縦となって現れます。でもそれは、神ならぬものに判断を委ねていく逃げの姿勢であり、そうした隙から人はやがて諸力に支配されていくのだと警告されています。

 ここで著者は 4「神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはない」と、すべてには私たちの思いを超えた意味があることを語っています。神戸女学院を創立したE.タルカットの口癖は“背筋をまっすぐにして歩きなさい”でした。これは姿勢のことにとどまらず、神の前に一人の主体として立ち歩みなさいとの指し示しでした。諸力渦巻く世にあっても、神の前に立ちみ旨を訊ね求めつつ歩むときに、私たちはそれぞれの道を踏んでいくことができます。

 B.C.6世紀、亡国という大きな苦しみを味わったイスラエルの民は、約60年に及ぶ捕囚の時を経てそれが自らの罪の帰結であったことに気づき(8・9節)、破れある者を捨てることのない主の 9「御名」に依り頼む主の13「民」「羊の群れ」として再出発を果たしました。苦しみと屈辱の捕囚の時にも主のみ旨、意味があったことを悟った時に、新たな歩みは始まったのです。

「愛をもってこれを貫く」

エフェソの信徒への手紙 3章7~9・14~19節

 説教  山下 智子 牧師 (新島学園短期大学宗教主任)

 1890年1月23日、新島襄は神奈川県大磯の百足屋で亡くなった。同志社を総合大学に発展させるという志半ば、満47歳を目前にした時だった。

 昨年の大河ドラマ「八重の桜」によって、八重はもちろんだが、襄の生涯にも改めて関心が高まったように思う。放送された襄の臨終シーンも大変心を打つものであった。襄は自分の命が尽きようとするときに、傍らにいる教え子で牧師となっていた小崎弘道に「エペソ人(エフェソの信徒への手紙)」を読んでほしいと願う。小崎は「わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。すなわち、聖なる者たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの限りない愛を全ての人に宣べ伝えるためである」と3章7~8節を読みあげる。

 実はエフェソ3章は1月27日に同志社で行われた襄の葬儀で読まれたものである。1~21節まである中、7節以下の使徒パウロの言葉は、襄の伝道者としての歩みに重なり、襄が何を大切に生きたのかを良く表しており、この部分がドラマに用いられたのは非常に的確で、襄の信仰をより多くの人が感じとる助けとなったことだろう。

 「愛をもってこれを貫く」、この言葉は襄が1886年、東華学校(同志社分校)の設立準備のために訪れた仙台(現・仙台東一番丁教会)で行った説教の一節である。このとき襄は「『キリスト教とは何か』と人から尋ねられたら、『愛をもってこれを貫く』と答えたい」と語り、キリストが自分を十字架にかけようとする敵のために「父よ、彼らをお赦しください」と祈られた姿に触れている。

 キリストが、またそのキリストを手本として生きた襄が、その生き方や言葉を通して示したのは、その愛を貫こうとしつづけることの大切さではなかったか。この不可能と思えることを可能にするのもキリストの愛であり、この愛こそが私たちをキリストの近くへと引き寄せ、今も私たちの心に働きかけるのである。この福音は襄により既に128年前にこの仙台の地でもはっきりと伝えられており、私たちはその恵みの内を歩んでいる。

 キリストの広く、長く、高く、深い愛の豊かさに満たされ、どんな時もそれぞれの与えられた場で、精一杯、愛を貫こうとし続ける私たちでありたい。

「夢を見、幻を抱く」

ヨエル書 3章1~5節
エフェソの信徒への手紙 1章11~14節

 新しい年2014年最初の礼拝に、ヨエル書から 1「夢を見、…幻を見る」との箇所を開きました。特定秘密保護法成立、国家安全保障会議(NSC)創設…と国民主権の原則を危うくさせる施策が打ち出され、憲法解釈を変更しての集団的自衛権行使が目論まれるなど、社会情勢は危険な方向に傾いています。果たしてどこに「夢」・「幻」を見ることができるでしょうか。

 前途に種々の可能性をもつ 1「若者」が夢や幻を抱くことは容易かもしれません。でもあわせて 1「老人は夢を見」と語られています。ここでは、自らの可能性を超えたところからの「夢」・「幻」のことが告げられていることに留意すべきです。

 「夢」と聞くと、M.L.キング牧師が“I have a dream”と繰り返し語った1963年ワシントン集会での演説を思い起こします。集会には25万人が集まるなど運動は高揚する一方、弾圧のテロリズムも吹き荒れていました。そうした中でキング牧師が語った「夢」とは、“かつての奴隷の子孫と奴隷主の子孫とが兄弟愛のテーブルに着く”“子どもたちが皮膚の色によってではなく人格の深さによって評価されるようになる”という遠大なものでした。神こそがついには歴史を希望へと導かれることに目を向けるときに、私たちは困難な現実にも立ち向かえることをキング牧師は語ったのでした。

 主の 1「霊」が注がれるときに、 1「老人は夢を見、若者は幻を見る」のだと告げられています。悩みある地に11「キリスト」が来られ、課題ある今に13「聖霊」が働いておられることに、私たちは12「神の栄光をたたえ」つつこの時を歩み行くことができます。