「信仰と正しい良心をもって」

テモテへの手紙 一 1章12~19節
詩編 11編1~7節

 

   新島襄は、国が帝国大学によって官吏をはじめとする人づくりに着手したとき “同志社大学設立の旨意”(1888年)を公にして、“一国を維持するは、決して二、三英雄の力に非ず。実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず。…吾人は…此の一国の良心とも謂ふ可き人々を養成せんと欲す。”と呼びかけました。

  19「良心」とは何でしょう。原語には“共に見る”という意味があります。国や指導者だけが目標また道筋を見つめるのではその歩みはおぼつかない、皆が共に見、考え、検証することの大切さを新島は訴えたのでした。現在審議中の特定秘密保護法案の危険性を指摘しうる視点が、すでにここにあることを思います。

  私たちの中には、自らを中心において振舞おうとする根強い15「罪」がありますが、隣人と考えや目当てを分かち合う思いも恵みとして与えられています。但し人間は付和雷同して誤りを犯す弱さを抱えていますから、19「良心」とは究極的には“神と共に見る”ことを指しています。

 教会が国家の弾圧など外との戦いのみならず、異端という内なる戦いも経験した2世紀初めにあって、19「信仰と正しい良心とをもって」戦いなさいと勧められています。隣人と、そして神と共に物事を見ることが課題ある時代を切り開き歩み行く力となることを心に刻みたく思います。

11月のおたより

 今年のクリスマスのご案内の絵は、15世紀に今日のベルギーで活躍した画家フーゴー・ファン・デル・グースの“牧者の礼拝”の一部です。

 幅2.5メートルもある大きな絵の中央部だけを拡大しましたので、降誕されたばかりのイエスさまと母マリア、父ヨセフ、礼拝する天使たち、そして動物たちだけが見えていますが、左側には礼拝に駆けつけた羊飼いたちが小屋に走り込んでくる様子が印象的に 描かれています。

 福音書が伝えるところによると、救い主の降誕を知らされた者はほかにもいたのです。でもかえって不安を抱き、その場には向かいませんでした。結果、羊飼いたちが世界の民全体に与えられた大きな喜びの最初の証人となったのでした。

 この絵は、さああなたも救い主のもとに駆けつけ、その恵みにあずかる者となれ、と語りかけています。共に、今年のクリスマスのよろこびを分かち合いましょう。

「ガリラヤへ行け」

マタイによる福音書 28章1~10節
イザヤ書 8章23節~9章6節

  

 ドラマ“八重の桜”でも描かれたように、新島襄は1884(明治17)年外遊中のスイスで呼吸困難に陥り、遺書をしたためました。幸い大事には至らず、アメリカに渡った新島はニューヨーク近郊の温泉で3ヶ月弱湯治をして体調を整えました。この間、日本伝道の礎としての東北伝道のビジョンを与えられ、これがその後の東華学校開校、そして当教会創立へとつながっていくのです。

  すでに“白河以北一山百文”と揶揄されていた東北になぜ目を向けたのか、興味深いところです。八重が会津出身であったこと、二人で1882(明治15)年に会津・米沢などを旅行したこと、山崎為徳・片桐清治といった水沢出身の学生に目を留めていたことなどいろいろ思い浮かべることができます。が、主イエスご自身が辺境のガリラヤにまず福音を語られ、復活を遂げられた後もガリラヤへ向かわれた(7節)と福音書が告げていることが新島の思いの根底にあっただろうことを見過ごすことはできません。

  イザヤ823~には、B.C.8世紀当時戦乱と占領の苦悩にあったガリラヤの地を主は捨てることなく、やがては救い主を送って希望をもたらされるとの預言があります。この 6「万軍の主の熱意」は700年余りを経て、主イエスにおいて成就したのでした。

 東華学校一期生で、当教会最初の受洗者である一力健治郎は、揶揄された東北の地に文化の花を咲かせてみせようではないかと“河北新報”を創刊しました。小さなものに目を留め、大いなるご計画をもってこれを導かれる主のみわざの内に私たちは置かれていること、この導きに応えてそれぞれのガリラヤへと踏み出したものたちがあったことを知ります。

収穫感謝合同礼拝 「平和めざす列車」

ペトロの手紙 一 3章8~12節

 

 韓国・釜山での世界教会協議会(WCC)第10回大会を前に、先月7日ドイツ・ベルリンから釜山を目指すピース・トレインが出発し、約130人が乗り込みました。列車はモスクワ・イルクーツク・北京・ソウルを経て、28日釜山に到着しました。http://www.peacetrain2013.org/ に報告のビデオクリップがあります。世界各国からの参加者が礼拝と交流を重ねつつ、平和への祈りを深くしていった様子がわかります。

 いくつもの国を越えてレールが結ばれていて、列車が走り続けられることにびっくりします。むしろそれを阻んでいるのは、私たち人間の敵意や都合です。残念ながら政府の許可が下りず、ピーストレインが北朝鮮を通ることはかないませんでした。

 ピーストレインが目指した第10回大会のテーマは、“生命の神、わたしたちを正義と平和に導いてください”でした。私たちは正義と平和を目指す列車に乗り組んでいるのだと思い浮かべることもできます。旅は長いかもしれませんが、主イエスのみ業によってレールは目的地までつなげられています。今日開いた聖書は 9「祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」と呼びかけています。そのためには“心を一つに、共感しあい、愛し、他者の痛みを思う一人として歩む”(8節)ことが大切です。私たちは世界の多くの人々と共に、平和めざす列車に乗り組んでいます。

召天者記念礼拝 「天上の友」

ヘブライ人への手紙 11章17~40節
ヨブ記 19章25~27節

 

 旧・組合教会の召天された教職者の略歴を集めた『天上の友』という冊子があります。神の平安の内にある敬愛する方々も、なお地上の歩みを続ける私たちも、共々に神のみ手の内にあることを憶えうるよい書名だと思います。1913(大4)年に出た第一編には当教会の初代牧師の三宅荒毅や新島襄の生涯が記されており、このたび第四編の出版が準備されています。

 ヘブライ人への手紙は、天地創造から歴史の完成までを視野に入れた壮大な説教です。私たちは限りある取るに足りない者ながら、この地に降り立ち十字架の贖いを成し遂げ天と地とを結び合わされた主イエスにあって、神の永遠に与ることができる安息が約束されたのだと力強く述べられています。

 この目には見えない約束を仰ぎ見て、今を生きることが13「信仰」です(1節)。この内なるまなざしは、なお種々の戦いが残る地上の日々をも13「喜びの声」と共に歩み行かせます。神の平安は“やがて”と共に、“今”与りうるものでもあるのです(4:9)。

 11章は天地創造の初めから信仰にあって与えられた今を意義深く生きた信仰者たち列挙し、もはや紙幅がないと筆を置きます(32節)。私たちが記念する召天者たちも、この歴史に加えられたお一人お一人です。