5月のおたより

 当教会は、今から126年前、仙台にあったキリスト教主義学校「東華学校」の教職員によって創立されました。校長は新島襄であり、事実上同志社の分校のような学校でした。時代の荒波の中、残念なことにこの学校は5年間で廃校となりました。今も仙台市中心部連坊小路に立つ遺址碑が、その歴史を伝えています。

 来る6月8日(土)、同志社校友会宮城県支部がその前で、「碑前祭」を行います。昨年2012年が東華学校閉校から120年、遺址碑建立80年にあたることを記念してのことです。当教会も協賛に加わっており、どなたも自由に参加できます。ご興味のある方は、どうぞおでかけください。

 

 <東華学校遺址碑碑前祭> 

     6月8日(土)15:00~  連坊小路 JT仙台支店前

ペンテコステ礼拝 「わたしの負けです」

エレミヤ書 20章7~9節
コリントの信徒への手紙 一 15章10節

 

 B.C.7~6世紀、大国アッシリア・エジプト・新バビロニアの圧力に翻弄される南王国ユダで、エレミヤは預言者に召されました。私は語るべき言葉を知らない若者に過ぎませんと尻込みするエレミヤに主はある幻を見せ、激動の中にも主の言葉は必ず成し遂げられると告げられました。こうしてエレミヤは主の言葉に捕らえられた預言者となりました(1章)。

 エレミヤにとって、時に主の言葉は「むさぼり食べ」て「喜び躍」る好ましいものでした(15:16)。が、むしろ彼はその言葉のゆえに当時の多くの者たちから迫害を受け苦境へ追い込まれることのほうが多かったのです。それゆえ 9「もう…語るまい、と思っ」た、でも 9「主の言葉は…心の中、骨の中に…火のように燃え上がり」押さえつけられないのだとエレミヤは語っています。

 時流に流されず逆境にあっても語るべきことを語り続けた彼の姿は、心を打ちます。その強さの源泉は、生きて働きついには成し遂げられる主の言葉でした。当時の体制に反抗したエレミヤの言葉がこうしてまとめられ後世に残っているのは、その言葉に聞き力づけられ後に続いた者がいたからであり、それらの者たちもいわば無名の預言者なのだと、北博兄(当教会員)は論文の中で書いておられます(「福音と世界」2011年11月号)。揺れ動く今にあっても、生きて働く主の言葉が私たちをそこに立たせ支え導くことを心に刻みたく思います。

「約束を成し遂げるために」

ルカによる福音書 22章1~23節
エレミヤ書 31章31~34節

 

 7「過越」は主のわざによって裁きが過ぎ越し自由が訪れた出エジプトの出来事を記念する祭(出エジプト12:1~)で、毎年3~4月に行われました。が、このとき主イエスが弟子たちと共にされた 7「過越」は特別なものであり(15・20節)、ご自身その時と場所を用意されていたのでした(10~13節)。

 B.C.7~6世紀に活動した預言者エレミヤは、主のみ旨が人の33「胸」33「心」に刻まれ神の民とされる31「新しい契約」が結ばれる日が来ることを告げました。が、その契約の中身はほとんど明かされていませんでした。

 主イエスがこのとき19「記念」された 7「過越」とは、そのいにしえの約束をご自身の十字架の犠牲によって成し遂げることを意味していました。この食卓は“最後の晩餐”と呼ばれます。主イエスは、愛する者を罪の裁きから免れさせ神の民の祝福に与らせるために自ら死へと向かわれました。と共に主イエスは、この食卓において16「神の国」の完成を指し示されたのでした。

 21:19において、課題ある今に立ち続けることの大切さが語られていました。時に言葉を無くし心震えることに出会うそのときも、そこに主の大いなる愛のわざと希望に向けた約束が刻まれていることを覚え、その今を歩んでいければと願います。

「目を覚まして祈るということ」

ルカによる福音書 21章29~38節
サムエル記上 17章41~47節

 

 大崎市岩出山に、個人所有としては日本最大という“佐藤梅園”があります。数千本という見事な開花と香りをここ10年ほど楽しんできましたが、今年はついに訪れることができませんでした。

 私たちが木々の花や30「葉」で季節を推し量るように、日々出会う出来事に向き合うと共に、31「神の国」に思いを馳せよと主イエスは言われます。先々週開いた前段で語られていた19「忍耐」とは我慢してやり過ごすことではなく、課題あるそこに立ち続けることでした。様々な課題ある今も31「神の国」の希望へと結ばれていることを仰いでこそ、立ち続ける力が与えられます。

 少年ダビデは45「主の名によって」、巨人ゴリアトに立ち向かいました(サムエル記上17:41~)。45「主の名」も33「言葉」も、それは神の意思を表わします。それは世のすべてが流転しても、33「決して滅び」ることがないのです。ここに私たちが拠って立ち得る確かな根拠と希望があります。

 34「心が鈍くならないよう」36「目を覚まして祈りなさい」とあります。課題ある今に向き合うことも戦いであるけれども、そのことに飲み込まれ流されることへの警告です。日々の出来事の中また背後にも神の33「言葉」を求め、31「神の国」を仰いで祈るとき、私たちは養われこの今を歩み得ることができるのです。