「主の派遣を身に帯びてこの今を生きよう」

ヘブライ人への手紙 10章19~25節
イザヤ書 52章7~10節

 

 今日開いたヘブライ10:23は2017年度宣教活動計画案の聖書箇所、説教題は主題です。

 イスラエル人の神殿には一般人の立ち入りが制限された19「聖所」があり、神が顕現するとされる最奥の至聖所には大祭司が年に一度しか入ることができませんでした(9:7)。が、主イエスは十字架の犠牲によって神に連なる20「新しい生きた道」を開いてくださったのだから(9:11~)、信仰者は主イエスと共に安んじて神のみ前に進み出ることができる、と著者は語ります。

 神と共に歩むことができるとのこの23「真実」な23「約束」を帯びて、私たちは生を与えられ、それぞれ具体的な時と場所へと派遣されています。そこには様々な課題もまたありますが、この“今”は主がついにはもたらされる完成の25「かの日」につながっていると聖書は語ります。そのことを礼拝において確かめ、23「希望を…保ち」24「愛と善」に生き25「励まし合」いつつ今を歩もうと呼びかけられています。

 当教会は創立から130周年を数えました。代々の信徒らが恵みと使命を覚えてそれぞれ派遣された生を歩んだように、私たちもこの年の歩みに向かい行きたく願います。

「ヨナのしるし」

マタイによる福音書 12章38~42節
ヨナ書 1章1~3節

 

 38「しるし」とは、平たく言えば“証拠”です。すでに28「神の霊で」人々を解放しておられた主イエスになお、人々は救い主としての“証拠”を求めたのでした。

 これに対し主イエスは、与えられるのは39「ヨナのしるし」だけだと言われました。それはどういう意味だったでしょう。

 ヨナは旧約の時代、退廃の都ニネベに神の裁きを伝えるべく神から遣わされた人物です。ヨナは大任に尻込みして別の方向に逃げ出そうとしますが、神の手を逃れることはできず、ついにヨナは「三日三晩魚の腹の中で」(ヨナ2:1)過ごすことになったのでした。40「三日三晩」を共通項として、主イエスはご自身の十字架の死と復活を指し示されたのです。救い主の38「しるし」とは、人々の思いとは全く違う形で与えられたのでした。

 魚の腹の中から助け出されたヨナは思いなおしてニネベへと向かい、主の裁きを告げました。すると41「人々は…悔い改め」、主は赦しを与えられました。するとヨナは、一体私の役回りは何なのかと怒ったのです。このヨナに主は一本のとうごまのエピソードを与えて、物語は閉じられます(ヨナ書4:4~)。

 ヨナは逃げ出したり怒ったり、本当に人間臭い人物です。でも主は彼を導き用いられ、彼もまたその度に変えられていくのです。主イエスの十字架と復活は、そのような破れを抱えた私たちに向けられた大いなる赦しと招きの出来事にほかなりません。むしろ、変わろうとしない39「よこしまで神にそむいた時代」の罪が指摘されています。誤ったり失敗しても、私たちは希望と祝福へと再び歩み出すことができます。主の慈愛の内に置かれているからです。

イースター礼拝 「あしたは来たる」

ヨハネによる福音書 19章38節~20章14節
サムエル記下 23章1~5節

 

 1「朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った」とあります。まだ闇が支配するこの 1「暗」さは、敬愛する主イエスを失った彼女の心の内をも示していましょう(ルカ8:2)。その前19:39~には、39「かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモ」(3:1~)らが主イエスを墓に納めたとあります。彼が39「夜」に主イエスを訪ねたのは、ファリサイ派としての体面を気遣ったからでした。さらにイスカリオテのユダが主を裏切ろうとする場面でも「夜であった」(13:30)と記されるように、これらの闇は世と人を縛る罪の支配を表しています。

 墓ではすでに 1「石が取りのけ」られ、他の二人の弟子も空であることを確認しましたが、 9「復活」を彼らは 9「まだ理解」できないでいたのでした。この間、闇は黎明へと変化していたでしょう。でも彼らがほんとうに希望の光を与えられたのは、復活の主ご自身に語りかけられてからでした(13節~、19節)。

 こうして彼らは、「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た」(12:46)と以前語られた主の言葉を思い起こしたことでしょう。罪の力は昔も今も世と生きる者を縛り、闇に押しとどめようとします。私たちにこれを打ち破る力はないかもしれません。が、復活の主はこれを破り、希望の光をもたらされるのです。“平和の光のくまなく世をてらす、あしたは来たる”(讃美歌403)、こう共々に歌いつつ与えられた今を歩み行きたく願います。

「記念として伝えられるだろう」

マルコによる福音書 14章1~9節
イザヤ書 55章8~13節

 

 1「過越祭と除酵祭の二日前」との言葉は、主イエスの十字架が差し迫ったことを指し示しています。これらの祭は出エジプトの解放を記念するもので、殊に 1「過越祭」は主がエジプトに裁きの災いを下された際に犠牲の小羊の血を印としたイスラエル人の家は守られた故事(出エジプト12章)を想起するものでした。今や主イエスは、世と人々を罪の呪縛から解放するために自らの命を分け与え犠牲の血を流す十字架に進もうとされていたのでした。

 その時、一人の女性が 3「純粋で非常に高価なナルドの香油」の壺を壊し全ての香油を主イエスの頭に注ぎかけたのです。 5「300デナリオン以上」とありますから、労働者のほぼ1年分の賃金に匹敵します。見ていた者は 4「無駄遣い」だと憤慨しましたが、主イエスは 8「この人は…わたしの…埋葬の準備をしてくれた。…福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」と言われたのです。

 この女性は主イエスの十字架の死を知っていた訳ではないでしょう。何らかの理由から主イエスに感謝を表すそうと、ただ持てる限りの愛を注いだのです。もっと良い方法があるはずだと言うことも可能です。でも、世と人はその業と力で自らを希望と平和へと解放することはできなかったのです。それゆえに主イエスは十字架へと進まれたのでした。

 世と私たちに対するこの主のみ業に、私たちは何をもって応え得るのでしょう。それはそれぞれの愛と真実を注ぐことにほかならないと、主イエスは告げておられるのだと思います(イザヤ55:13)。

「和解の福音」

使徒言行録 20章17~24節
エフェソの信徒への手紙 2章14~22節

 

 第三伝道旅行を終えて出発するパウロが、エフェソ教会の長老たちと別れを惜しんだ箇所です。この時パウロは大きな危険を予期しつつ(22・38節)、22「エルサレム」を目指していました。それはこの旅行中に異邦人教会で集めた献金を、エルサレム教会に届けるためでした(ローマ15:25~)。

 当時吹き荒れていたユダヤ国粋主義はユダヤ人と異邦人の間に亀裂を生じさせ、それは律法問題という形で教会にも影を落としていました。そのような中、パウロは献金運動を通して異邦人教会とユダヤ人教会に橋を架けようとしたのです。互いは共に、キリストの十字架によって招かれ結ばれた兄弟姉妹であるからです(Ⅰコリント1:18~25、ローマ3:29~31)。一致と連帯を再確認し、かつて合意した伝道パートナーシップ構想(ガラテヤ2:9~10)を具体化することをパウロは自らに与えられた24「任務」と考えたのでした。

 しかしそれは危険を伴うことでした。そして実際、パウロはエルサレムで捕縛され(21:27~)、ローマへ囚人として送られることになります(27:1~)。使徒言行録ははっきりと記しませんが、パウロは捕らえられたままで、その生涯を全うしたのだと思われます。

 エフェソ2:14~は、キリストの十字架にあって人は16「神」との16「和解」に招き入れられ、さらに他者との15「平和」にも導かれると告げています。パウロはこの主に召され押し出され、現実の和解のため労したのでした。そして代々の信仰者たちもまた、それぞれの時代において和解のために働きを捧げてきたのです。

「人間の願いと神の計画」

使徒言行録 19章21~34節
エレミヤ書 29章10~14節

 

 今日開いた箇所、またローマ15:19~には、ローマさらにはスペインを目指したいとのパウロの計画が記されています。三回にわたる伝道旅行でローマ帝国東半分で広く宣べ伝えてきた彼は、さらに西に福音を携え行くことを願ったのでしょう。

 しかし意に反して、この第三伝道旅行でのエフェソ滞在はおよそ2年の長きにわたりました(19:10)。使徒言行録に書かれてはいませんが逮捕・入獄があり、さらには開拓したコリント教会に異端が入り込むという難問への対処を迫られたからでした。またこの間パウロは、フィリピ・フィレモンという獄中書簡、ガラテヤ書、コリント書の大半を書いたのでした。

加えて彼は、第三伝道旅行で集めた献金を携えて21「エルサレムに行」くとの使命を帯びていました。それを果たした後ローマへとの願いは、後の逮捕・護送という思いもしなかった形で実現します(27章~)。スペイン行きの願いは、残念ながら叶わなかったでしょう。願いは必ずしも実現しませんでしたが、主なる神は地中海そして世界伝道の礎として彼の働きと生涯を貴く用いられたのです。

 11「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている」と主は告げておられます。私たちの生もまた自らの思いを超えて、大いなる方のご計画に位置づけられていることを仰ぐとき、安心と基盤が与えられるのです。

教会創立130周年記念礼拝 「収穫は多い - 伝道・教育・奉仕」

マタイによる福音書 9章35~38節 
イザヤ書 6章8節

 

 新島襄は1884年末ニューヨーク近郊での湯治中、「…日本ノ地図ヲナカメ、如何シテカ主ノ御国ヲ我カ東洋ニ来ラシメント千思万慮…夜々眠ルヘキ時スラ此一事ノ為ニ思ヲ焦シ、殊ニ我カ東北地方ニ着手セン事ヲ計」りました(「出遊記」)。この新島の幻と祈りは、間もなく1886年10月の宮城英学校(のちの東華学校)創立、1887年3月の当教会創立へと実ったのでした。

 新島の宣教の視点は、1889年11月の書簡に「自由教育、自治教会、両者並行、国家万歳」とあるように、キリスト教の価値観を根づかせ新しい日本の建設を目指すという広いものでした。

 主イエスは、人々が36「弱り果て、打ちひしがれ」神のみ業を必要としていたとき、35「会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、…病気や患いをいや」してその働きを進められました。代々の教会は、この主に従い、伝道・教育・奉仕の広がりをもつ宣教を展開してきたのです。

 時代の激動の中で東華学校は5年で廃校となった一方、当教会は創立130年を迎えました。主イエスは37「収穫は多いが、働き手が少ない。…働き手を送ってくださるように…願いなさい。」と呼びかけておられます。主のみ業は今も続いています。当教会創立の歴史に日本宣教の礎としての東北伝道という遠大な計画が刻まれていたことを受けとめ、私たちもそれそれの働きにおいて主に応えゆくものでありたく願います。

東日本大震災6周年を覚えての礼拝 「祝福があるように」

ルカによる福音書 13章31~35節
申命記 32章10~11節

 

 2011年大震災が起こった2日後に共にまもったのもレント第1主日の礼拝であり、主イエスの受難の使信がより深く響いたことを思い起こします。震災の被害にあっては私たち人間の小ささが、引き起こされた東電福島第一原発事故にあってはその驕りが露わにされました。

 主イエスは受難を予感しつつ、33「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進」む、32「悪霊を追い出し、病気を癒」す、と言われました。この主が被災地にも生きて進み働かれる姿を仰ぎつつ、私たちはあの時を歩んできたように思います。そしてこの主に連なるように、多くの人が働きを捧げたのでした。そうした中小さな一人が助け起こされているならば、神の国は実現しつつあるのだとの主イエスの言葉(7:22)に励まされました。

 一方、主なる神の大いなる慈しみと育みにもかかわらず(申32:10~)、この世はこれを無視し抗い自滅へと向かおうとするのです(34~35節)。35「主の名によって来られる方に、祝福があるように」との言葉は、受難待ち受ける都エルサレムに主イエスが入場された際の群衆の声でした。世と私たちの罪の赦しと解放のために主が十字架へと進まれたその真実を受けとめ、この言葉が再び聞かれるときに、35「祝福」は広く分かち合われるのだと告げられています。

「神の御心ならば」

使徒言行録 18章18~23節
箴言 16章1~9節

 

 パウロが第二伝道旅行を終えて22「アンティオキア」に帰着、しばらくして第三伝道旅行に出発した箇所です。まず言わば喧嘩別れした相手である22「エルサレム」教会 (ガラテヤ2:11~) を訪問していることに驚きます。意見は異なっても、お互いは主なるキリストを宣べ伝えるパートナーであるとパウロは確信していたのでしょう(ガラテヤ2:9、フィリピ1:18)。

 また第二伝道旅行の最後に宣べ伝えた19「エフェソ」は、パウロにとって思い入れのある町だったはずです。旅の当初伝道を計画しつつ、主に阻まれ断念した経緯があったからです(16:7)。約3年ぶりに訪問を許され、町の人々にも好意的に迎えられ、うれしかったことでしょう。が、パウロは21「神の御心ならば、また戻って来ます」とエルサレムに向かったのでした。そしてこの21「御心」は第三伝道旅行において、成就しました。

 9「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」とあります。 9「自分の道」に力を尽くしつつも、大いなるまなざしの内にその私が捉えられていることを知る者の安心、そして強さを思います。

 1886年押川方義は、仙台に英学校を創るにあたって当時ライバル関係にあった新島襄を自らの教会 (現・仙台東一番丁教会) に招き、新島は十字架上で敵のために祈ったキリストの広く高く深い愛こそが私たちを引き寄せまた歩ませるのだと説教しました。自らの思いを超えた21「神の御心」を仰ぎ、この二人もまた信頼を交わしたのでした。