同志社高校礼拝 「私はここにいます」

サムエル記 上 3章1~10節

 

<地球の真ん中>

 私は東北、仙台の教会から来ました。教会は市内にありますが、車で1時間ほど離れた太平洋岸に研修所を持っています。海に面した岬の上に立つログハウスです。ここの岬に立つと、太平洋の水平線が広がります。そして、その水平線はほんの少しカーブを描いていて、地球が丸いのだということを実感させてくれます。

 以前、教会は幼稚園を運営していて、年に一度子どもたちとここに泊まりに行って、岬で話をしました。“地球は大きいね。そして “私”というのはほんとうに小さいね。あの水平線を見るとよくわかるね。でもちょっと考えてみて、みんなは地球の真ん中に立っているんだよ。”わかりますか?。地球はボールのように丸いのです。だから、どこにいてもそれは地球の真ん中になります。地球上に生きている人で、地球のはじっこに立っている人はいません。みんなが必ず真ん中に立っているんです。そう“私”は確かに小さい小さいけれど、でもその小さな“私”は地球の真ん中に立っています。

<今日の聖書で>

 さて、今日の聖書を開きましょう。

 神殿、今でいえば教会のようなところに寝泊まりしていた少年サムエルは、夜中、呼ぶ声を聞きました。「サムエルよ」。エリ先生に呼ばれたと思ったサムエルは、先生のところへ急ぎました。「お呼びになったので参りました」。ところがエリ先生は「はて、わたしは呼んでないぞ。戻っておやすみ」。と言うのです。不思議に思いながら戻って休むと、再び声がしました。「サムエルよ」。再びサムエルは先生のところへ急ぎました。「お呼びになったので参りました」、「いやいや、わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」。でもやっぱり三度めにサムエルは呼ばれたのです。「サムエルよ」。「先生、お呼びになったので参りました」。「えぇい、さっきから呼んでないと言っとるじゃろが!・・・。いや、ちょっと待てよ。サムエル、お前を呼んでいるのは主なる神さまご自身かもしれん。もし四度目に呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言ってごらん」。

 サムエルが戻って休むと、四度目に声がしたのです。「サムエルよ」。サムエルは答えました、「主よ、お話しください。しもべは聞いております」。ここから、サムエルが主なる神さまに用いられつつ、新しい時代を切り開いていく物語が始まりました。

<自分探し>

 神さまは、サムエルの名前をくり返し呼びました。他の誰でもないサムエルだからできる働きを託すために、神さまは呼ばれたのです。サムエルははじめ気づきませんでしたが、ついには「どうぞお話しください。僕は聞いております。」と神さまに向き合うことができました。

 この私だからできること、世界の真ん中に立つこの私にこそできること、これを見つけることを“自分探し”といいます。サムエルは失敗も含めた自分探しの中で、神さまから大切な働きを受け取っていったのだと思います。

 皆さんは今、高校生というとても大切な時を歩んでいます。もう40年前のことですから大昔話ですが、高校時代私は多くのよき友人を得ました。友人たちと時に楽しく、時に真剣にやり取りした中で私は二つのことを知りました。一つ目は “私は世界中の誰とも違う私だ”ということ、そして二つ目は“私は信頼できるつながりにあってこそ私になれる”ということでした。これが私の出発点となりました。

 サムエルの物語から受け取ることができるメッセージを、三つ挙げたく思います。

 ひとつ目。サムエルがそうであったように、私たちにも神さまは繰り返し声をかけその名を呼ばれているのかもしれません。但し、それは夜中に名が呼ばれるという仕方とは限りません。友だちとのやり取りの中で、学校の授業や経験を通して、大切なこのことに気づきなさい、世界で一人のあなたでありなさい、と既に呼びかけられているかもしれません。

 ふたつ目。神さまの呼びかけに向き合い正しく受け取るまでには、失敗・試行錯誤があり得るし時には必要かもしれない、ということです。「お呼びになったので参りました」とサムエルは三度間違いを繰り返しました。でもそれは正しい路を選び取るのに必要なことだったのです。

 みっつ目。サムエルにはエリ先生というよき導き手がいました。私たちは他者とのつながり・やり取りの中で、“わたしはここにいます”と自らの位置を確かめ、「どうぞお話しください。僕は聞いております。」と神さまに向き合うことができるようにされていきます。

 高校の時代は大切な自分探しの時です。世界の真ん中に立つあなたには、あなただからできる大切な働きがあるはずです。すぐには見つからないかもしれません。必要な失敗もあるかもしれません。それを経て“わたしはここにいます”と自らを見出すとき、世界の真ん中に立つあなたの働きが、その道が始まっていくのです。

 よき高校生活を歩まれるよう、お祈りします。

京都丸太町教会礼拝 「Singing here is ended, God is young」

ルカによる福音書 21章29~33節
イザヤ書 55章8~11節

 

 説教題は、幼少期を私どもの教会で過ごされ、のち神戸女学院第5代院長を務められたC.B.デフォレスト宣教師(1879-1973)が晩年に詠まれた詩の一節です。この先生がご両親と一緒に眠られている墓石はちょっと変わった角度で建てられており、一面は仙台人が愛する太白山に、もう一面は母国アメリカを臨む太平洋に向けられています。ご両親も先生も、遣わされて来た故国と遣わされた日本と、その両方を見据えてその生を全うされたのでした。

 この詩においても、やがて終わりを迎える自らの生、そして永遠を司られる神のみわざ、この二つが見つめられています。そしてこの二つの視点が、アジア・太平洋戦争という難しい時代にも先生をしっかりと立たせ歩ませた力の源泉であることを思うのです。

 私たちが木々の花や「葉」(30節)で季節を推し量るように、日々出会う出来事に向き合うと共に、「神の国」に思いを馳せよと主イエスは言われました(31節)。前段19節に現れる「忍耐」とは我慢してやり過ごすことではなく、課題あるそこに立ち続けることです。時に押し寄せ飲み込み翻弄する規模の課題に、私たちは独力では立ち留まり得ないでしょう。でも課題ある今も神の国の希望へと結ばれていることを仰ぐときに、なんとか立ち続け歩みゆく力が与えられるのです。

 激動の時代、デフォレスト先生の歩みには難しいことも多々ありました。が、「決して滅びない」(33節)神に支えられているから、私は与えられた生の終わりまで歌い続けることができる、と詠まれたのでした。私たちの昨日・今日・明日、その歩みにも永遠なる方の眼差しと導き、そして期待が与えられていることを仰ぎ、私たちも歌いつつ歩みましょう。

 

(2013年6月2日 京都丸太町教会にて)

東北教区東日本大震災2周年記念礼拝

イザヤ書 42章1~9節
ルカによる福音書 7章18~23節

 

 東日本大震災発生より2年目の日に、あのときの体験・刻んできた思いを携えつつ、共々に主の前に立ちたく思います。

 震災発生2日後のレント第1主日、礼拝堂のガラスが砕け落ちていたため幼稚園ホールでまもった私どもの教会の礼拝にはいつもの約半数のメンバーが集まり、心細い中にも祈りました。連絡のつかないメンバーが心配で、“主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりがあなたがた一同と共に”との祝祷に、“今思いうかべる一人一人と共にあるように”との言葉がつけ加わりました。その後、ほとんどの方の無事が確認できましたが、海近くにお住まいの姉妹の消息がつかめず、翌週もその翌週も“今思い浮かべる一人一人と共に”と、皆で祈りをあわせました。

 この姉妹が津波に遭い召天されていたことは6月に判明し、お葬式を執り行いました。その後も、“今思い浮かべる一人一人と共に”との言葉を外すことができず、今に至っています。思い浮かべるのは、天の姉妹であったり療養中の方であったり、その時またそれぞれにおいて異なりますが、礼拝において私たちは誰かのことを祈ることができるし、そのように導かれていることをあの震災より知らされました。

 震災発生より2年、失われ断ち切られたままの多くのものがあり、懸命に取り戻されてきた沢山のものがあります。これらはいずれも忘れてはならないものです。そして一方、困難な震災の只中から新たに起こされてきたものもあるのではないでしょうか。それは、日本・世界各地から寄せられる祈りと助力であり、幅広い協力であり、平和と共生をめざす気づきなどです。

 B.C.6世紀、亡国と荒廃にあった民に、主は預言者の口を通して「見よ、…新しいことをわたしは告げよう」、この荒廃にも新しいものが「芽生えてくる」と語られました(イザヤ42:9)。今日にも主から与えられるこの希望に目をとめたいし、私たちはすでにその一端に触れ与っていることを思います。

 震災報告に出かけた京都教区研修会の礼拝で、ある牧師から“地震を地震のままに、津波を津波のままに、事故を事故のままにしておいてよいのか”との問いかけを頂きました。とてつもない中にも必ず新しいことを起こされる主のみ業に目を向けよう、私たちも従おうとの呼びかけであったと思います。一昨年の教区の集いで田中優さん(NPO未来バンク理事長)は、あの痛恨の原発事故を私たちはよりよき環境を未来に残すための転換点としなければと語られました。昨日、私どもの教会では、被災者支援センターエマオで震災に向き合ってきた一人の青年が洗礼を受けました。主は、地震を津波を事故をそのままにはなさらず、新しいことを起こし給います。

 なお道のりは長いでしょう。でも「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことな」い主の業は、ついには「裁きを導き出して、確かなものとする」のです(イザヤ42:3)。従う一歩一歩の奉仕をも、主はご用のために用いてくださるでしょう。

 洗礼者ヨハネが使いを送って、“救いの実現はいつでしょうか、まだ「待たなければなりませんか」”と訊ねたとき、困難な中にも小さな一人が助け起こされているならば、神の国の救いはすでに訪れているのだと主イエスは答えられました(ルカ7:18~)。これは私たちが「見聞き」していることでもあります。震災発生2年の今にも生きて働き、新しいことを起こし、み業を進められる主を私たちは仰ぎ、従って行きたい、そう願います。

 

(2013年3月11日 仙台東一番丁教会にて)

霊南坂教会礼拝 「地震のままにしておくな」

エレミヤ書 31章15~17節
ヨハネによる福音書 11章28~44節

 

 新年礼拝に際し、“おめでとう”と言い交わしていいのかとの戸惑いがありました。昨年の大震災発生以来、東北はなお大きな課題の中を歩んでいるからです。そうした中、主の十字架の憐れみと慰めから洩れる場所はないと告げるコロサイ1:20を開き、それゆえに“おめでとう”と挨拶を交わそうと呼びかけました。

 ただしこのことを信じようとするとき、私たちは恵みと共に課題をも受け取ることになります。なぜこのような震災が与えられるのか、この重い問いにぶつからざるを得ないのです。

 あのとき私は、牧師館の中にいました。幼稚園の保育中でしたので、激しく揺れる階段を転げ落ちるように下り、ガラスが破れ砕けた会堂を走り抜け、園舎方面に向かいました。4人の園児は(幼稚園は3月末で休園が決まっており、これが全園児でした)教諭の適切な誘導によって、前庭に避難し地面に伏していました。会堂の塔がねじれるように動いていました。数分後、やっと揺れが収まったとき私は“あぁ大変だったけれどもこれで終わった”と思いました。が、全く愚かなことでした。これは終わりではなく始まりでした。このとき津波に教会員が2名、求道者のお母さんが1名、のみ込まれようとしていたことを私は想像することができませんでした。

 今日の聖書には、旧約のいにしえの母ラケルの、また主イエスの嘆きと涙が描かれています。十字架の主は今も被災地の「憤り」「涙」(33・35節)を共にされておられることを仰ぎます。加えて、預言者エレミヤは「目から涙をぬぐいなさい」「あなたの未来には希望がある」と語り(16・17節)、主イエスは復活のみ力をもって私たち人間の悲嘆を「神の栄光」(40節)へと変えられました。

 震災の今を忘れないこと、その今を明日へと変えていくこと、こうした務めが私たちにも分け与えられていることを思います。震災は私たちの知恵も技術も力をも崩し、押し流す規模のものでした。涙を希望に、今を明日に変えていくためには、人間を超える導きを仰がねばなりません。その主は私たちと共におられます。

 

(2012年4月29日 霊南坂教会にて)

会津地区新年礼拝

ローマの信徒への手紙 13章11~14節 
イザヤ書 2章1~5節 

 

 新しい年2012年が与えられました。昨年3月11日の震災発生以来、多くの痛み・悲しみ・悩みの中を歩んでいますが、主はそうした只中においでになられたこと、そして平和の十字架を打ち立てられたこと(コロサイ1:20)を仰ぎ“主の年2012年おめでとう”と挨拶を交わしたく思います。

 聖書では“時”を表わす単語が数種使い分けられており、中でも“カイロス”との語はほかの時と取り替えることのできない特別な意味をもった瞬間を指します。ローマ13:11~で著者パウロはこの語を用い、私たちが歩む現実の時の意味は神の歴史に照らしてこそわかるのだと述べ、歴史が神の完成に到ることを知っている私たちは「闇」と見える中をも「日中を歩むように」進もうではないかと語っています。

 誕生の時・出会いの時・人生を完成して召される時…、私たちもそれぞれ大切なカイロスをもっていますが、この世界を大切に思うがゆえに神ご自身が人となって降られたクリスマスの出来事こそ最大のカイロスなのだと聖書は語ります。いま私たちはこの新年に与えられた特別な意味を訊ねて、この礼拝に集ってきました。そして思うのです、昨年の3月11日もカイロスだったのではないかと。あの時をほかの時と取り替えることはできないからです。

 あのとき私は、牧師館の中にいました。幼稚園の保育中でしたので、激しく揺れる階段を転げ落ちるように下り、ガラスが破れ砕けた会堂を走り抜け、園舎方面に向かいました。4人の園児は(幼稚園は3月末で休園が決まっており、これが全園児でした)2人の教諭の適切な誘導によって、前庭中央に避難し地面に伏していました。会堂の塔がねじれるように動いていました。数分後、やっと揺れが収まったとき私は“あぁ大変だったけれどもこれで終わった”と思いました。が、全く愚かなことでした。これは終わりではなく始まりでした。このとき津波に教会員が2名、求道者のお母さんが1名、のみ込まれようとしていたことを私は想像することができませんでした。

 神さまの眼差しと十字架の憐みから洩れるところ・人はないとのパウロの言葉を、私はこのときにも仰ぎたく思います。では、あの時にどういう意味があったのでしょう。答はなかなか与えられず、或いは共通した答はないのかもしれませんが、それを問うことをやめてはいけないのだと思っています。教区の集いでお招きした田中優さんはあの3月11日を、二度と放射能汚染を繰り返さないための転換点としていく夢と責務を抱いていると語られました。当教会のある男性はあの3月11日を経験して、いかなる時にも神さまを仰ぐしかないのだとの決断をしてクリスマスに洗礼を受けられました。そのカイロスの意味は何か。難しい問いですが、これを祈りに託しみ旨を求めつつ、与えられた2012年を歩んでいきたい。そう願います。

 

(2012年1月2日 会津若松教会にて)