教会創立132周年記念礼拝 「主にある絆を覚えて」

ローマの信徒への手紙 10章8~15節
申命記 26章16~19節

 

 日本に会衆主義の伝統をもたらすこととなった海外宣教団体アメリカン・ボードは、Haystack Movement(干草の運動)と呼ばれる19世紀初頭の大学生たちの熱心な祈りをきっかけに生まれました。

 このボードの宣教師として帰国した新島襄が同志社英学校を創立した翌年の1876年、熊本から一群の学生たちが合流します。熊本洋学校でL.L.ジェーンズの薫陶を受け花岡山で奉教趣意書に署名した、信仰と伝道に燃える若者たちでした。強烈な個性を放つ彼らは、やがて “熊本バンド” と呼ばれるようになります。

 熊本バンドは、横浜バンド・札幌バンドと並んで日本プロテスタント三大源流とされますが、ほかにも静岡バンド・弘前バンドなど各地で信仰者の群れが起こされました。山崎為徳・片桐清治らの系譜は水沢バンドと呼びうるものだと考えます。いずれの群れにおいても、若者たちがキリスト教信仰を生涯の道として自覚的に選び取って行ったことに大きな特徴があります。

 彼らは共々に 9「口でイエスは主であると公に言い表し」、 9「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」て福音を生きたのでした。そして15「遣わされ」て15「良い知らせを伝える者」となったのです。当教会にも連なる伝統の源流に、信仰を生き連帯の内に生涯を歩みゆこうとの熱心な信仰が息づいていたことを覚えたく思います。

充電器の忘れ物

 3月10日(日)は当教会の、11日(月)は東北教区の東日本大震災8年を覚える礼拝が行われました。

 この際に、充電器の忘れ物がありました。おそらくスマホやタブレット用なのかなと思います。

 心当たりのある方は、教会まで連絡ください。

3月のおたより

 イースター(復活日)は移動祝日で、 “春分後の最初の満月の次の日曜日” と決められています。今年はちょっと遅めで4月21日です。東北では梅や桜の開花がこの頃に重なり、命の復活を祝うかのようです。

 さて宮城県大崎市岩出山に、東北一といわれる「佐藤梅園」があります。10ヘクタールをこえる敷地に20を超える梅の品種が植樹されており、もっとも古い木は樹齢60年近くにもなるそうです。見渡す限り広がる花の眺めもさることながら、木々の間に分け入ってみるとかぐわしい香りに身体ごと浸るような感じです。

 今年は四季の会(壮年会)が観梅会を計画しました。どなたも参加できます。マイクロバスの乗車定員の関係で、先着25名程度となります。イースターのちょっと前ですが、神さまの恵み、復活の喜びを先取りして味わってみませんか?。

 

四季の会主催 「観梅会」

4月8日(月) 10時教会出発 16時ごろ教会解散予定

参加費  1,500円 (バス代等)

持ち物  お弁当・雨具・敷き物など

申込み  教会まで連絡ください

 

△ 一昨年、台湾の牧師先生をご案内した際の梅園

東日本大震災8周年を覚えての礼拝 「主に立ち帰ろう」

哀歌 3章10~40節
使徒言行録 14章14~17節

 

 東日本大震災発生から8年を数える礼拝をまもっています。 “発生” と加えるのは、今も震災の課題の中を歩んでいる人がいるからです。震災の体験と思いは個々人まちまちです。そうした私たちが集まって記念の礼拝をもつ意味を、改めて考えてみました。様々な違いがあるからこそ主なる神の前に集まり、静まり、それぞれの出来事の深淵を振り返ると共にそれを分かち合う、そこに意味があるのではないでしょうか。

 今日共にした哀歌は、B.C.6世紀亡国とバビロン捕囚の苦難の中で編まれた歌です。今日開いた箇所で、詩人は呻吟しつつもその苦難もまた主から与えられたものであることを見つめ、その意味を問うています(1節)。すべてを37「あらしめ」得るのは、主だけであるからです(37~38節)。その原点に立ち18「ただ主を待ち望もう」40「主に立ち帰ろう」と思い定めたとき、33「人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではな」く、22「慈しみ」22「憐れみ」をもって日々新たなことを起こしてくださる主の23「真実」を見い出したと詩人は歌っています。

 私たちも震災と向き合う中で、それぞれに自らの小ささと、その小さな者をみ旨をもって養い新たな業をもって導かれる主に出会ってきたのではないでしょうか。25「主に望みをおき尋ね求め」つつ、これからもそれぞれの道を歩み行きたく願います。

「その日と今」

ルカによる福音書 21章29~38節
ヨエル書 2章11~14節

 

 ルカ福音書によればエルサレム宣教の間、主イエスと弟子たちは37「『オリーブ畑』と呼ばれる山」で野宿していたとあります。飼い葉桶に降誕され、「人の子には枕する所もない」(9:58)と言われた主イエスは、十字架の待ち受ける都にとどまってその時に備えておられたということです。

 7節以降、神によってもたらされる世の完成・終わり=終末を巡る教えが続いていますが、その日だけが注目されているのではありません。 9「世の終わりはすぐには来ないからである」と述べられ、29「いちじくの木や、ほかの…木を見」るように今を見つめること、与えられた一日一日を大切に生きること(34節)が指し示されています。不意に襲うかもしれない35「その日」とは終末の日であると共に、思いがけない転機や人生を閉じる日のことだと受け取ることもできます。

 8年前の大震災を通し私たちもまた、 “今” を大切にしてこそ35「その日」に備えられること、35「その日」を覚える中で“今”が位置づけられることを学びました。

 主イエスは限りある私たちにまことの命を分け与えるために、世の流れゆく “今” に降誕を遂げられ、宿られたのです。時に平凡とも思える “今” にも私たちに向けられた生ける主のみ旨とみ業があることに気づかされます。

キリスト教入門講座 (第16期)

キリスト教に触れてみたい方、もう一度基礎を学んでみたい方に向けた講座です。

小西牧師がお話します。内容は第15期までと同じです。特に申し込みは必要ありません。

いずれも水曜日、19:00~20:30、仙台北教会にて。

第1回 : 2月27日  「名をもつ神」

第2回 : 3月13日  「イエス・キリスト」

第3回 : 3月20日  「十字架と復活」

第4回 : 3月27日  「神の国を生きる」

第5回 : 4月3日  「聖書」

第6回 : 4月10日  「召し出された者の群れ-教会」

「人の見るところ、神のまなざし」

ルカによる福音書 21章1~6節
サムエル記上 16章5~13節

 

 1「目を上げて」 2・3「見て」 6「見とれて」と、今日の箇所では眼差しが意識されています。人々は 1「金持ちたち」のたくさんの献金に注目し、エルサレム神殿の 5「見事な石と奉納物」に目を留めるのです。が、主イエスは 2「貧しいやもめ」のわずかな献金に込められた信実をご覧になり、歴史の流転を超えてなお残るものは何かと問われるのです。

 サウルに代わるイスラエル王を選ぶ際、主は 7「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と告げられ、羊の番をしていた末の子ダビデを選ばれたのでした。主なる神は真実を見通され、世と私たちはその眼差しの内に置かれています。

 ある講演で、時代はポスト・モダンを突き抜けてポスト・トゥルースに入ってしまったとの言葉を聞きました。真実の多様化どころか、もはや真実は重要ではなく個人の感情に訴えるものが影響力をもつ時代との指摘です。“ポスト・トゥルース”はオックスフォード英語辞典により2016年を象徴する言葉に選ばれています。

 社会からは共通の価値が見失われ、依って立つ基盤は流動化していきます。私たちは何に価値を置き、何をどう見極めていきましょうか。いや、まずそれ以前にあなた自身また世界と歴史が真実なる眼差しの内に置かれているとの主の言葉に耳を傾けてこそ、私たちに確かな基盤が与えられることを銘記する必要があります。

2月のおたより

 降雪の少ないこの冬の仙台ですが、さてこののち大雪などなく春を迎えるでしょうか。皆さまお一人お一人にまもりがありますように。
 まもなく3.11、東日本大震災発生から8年を迎えます。東北教区では4か所で記念礼拝を行うこととなり、宮城地区は当教会が会場となりました。祈りのうちに、あの時と今を結び合わせて3.11を過ごしたく思います。
 3月11日(月)、4か所で行われる記念礼拝は以下の通りです。開始時刻はいずれも午後2時30分から。どうぞお出かけください。

 

= 東日本大震災8年記念礼拝 (主催:日本キリスト教団東北教区) =

<宮城会場>
仙台北教会
説教 中井利洋 牧師 (仙台東教会)

<福島会場>
郡山教会
説教 高橋真人 牧師 (会津坂下教会)

<山形会場1>
山形六日町教会
説教 中村正俊 牧師 (上山教会)

<山形会場2>
酒田教会
説教 長尾厚志 牧師 (仙台ホサナ教会)