2018 クリスマスメッセージ

 上の絵は、ルネサンス期フィレンツェ派の代表的画家S.ボッティチェリの「東方三博士の礼拝」(部分)です。救い主イエスの誕生に、東方からの博士らと従者たちが礼拝に訪れた場面を描いています。最年長の博士が幼な子イエスを拝し、二人が宝物を捧げています。

 この絵には、制作された15世紀当時の実在人物が多数描かれていることで有名です。博士らはフィレンツェのメディチ家の親子であり、上の絵には載っていませんが外側にはこの絵の依頼者ラーマとその家族、さらにはボッティチェリ自身の姿もあります。

 依頼主などの姿を描き込むことは絵画の世界ではしばしば行われることですが、ここには加えてのメッセージがあるように思います。すなわち救い主イエスの降誕は、時代を越えて全ての人々に与えられた喜びであるからです。降誕に際し、近くで野宿をしていた羊飼いたちは天使から「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と告げられたと福音書にあります。この喜びの告知は羊飼いと共に、この物語を共にしているあなたにも与えられたのだと福音書は語りかけています。

 平和と希望を実現するために、神ご自身が一人の幼な子となることを選びとってこの世界そしてあなたの許へ来られた、これが降誕の出来事です。今を生きる私たちもこの恵みに招かれていることを知り、喜びを分かち合う輪に加わりたく願います。

12月のおたより

 12月2日の礼拝で、讃美歌“だから今日、希望がある”のことを紹介し、アルゼンチン・タンゴの曲調にのせて歌われている原曲も流して耳を傾けました。

 この元の動画で歌って会衆をリードしているのが作詞者のフェデリコ ・ J ・ パグーラ牧師、ピアノを弾いているのが作曲者のオメロ ・ ペレーラ氏であることを、日本語訳詞者の松本敏之牧師から教えて頂きました。2009年8月にもたれたアルゼンチン・メソジスト教会の集会で収録されたものとのことです。

 パグーラ牧師の力強いリードに、会衆が歌声そして思いを合わせている印象深い讃美歌です。ぜひ上のリンクを開いてみてください。

 下に日本語の歌詞を載せておきます。一緒に歌うこともできますね。

 

1. 主が貧しい馬小屋で お生まれになられたから
  この世界のただ中で 栄光、示されたから
  主が暗い夜を照らし 沈黙、破られたから
  固い心、解き放ち 愛の種、まかれたから
(くりかえし)
 だから今日、希望がある
 だから恐れずたたかう
 貧しい者の未来を 信じて歩み始める
 だから今日、希望がある
 だから恐れずたたかう
 貧しい者の未来を 信じて

2. 主がおごる者をちらし 高ぶる者を低くし
  小さく貧しい者を 引き上げ、ほめられたから
  主が私たちのために その罪と咎を背負い
  苦しみと痛みを受け 十字架で死なれたから
(くりかえし)

3. 主がよみがえられたから 死を打ち破られたから
  もう何も主の御国を さえぎることはできない
(くりかえし)

 

「もとの牧場に帰らせる」

エレミヤ書 23章1~6節
マタイによる福音書 18章10~14節

 

 南王国ユダの滅亡とバビロン捕囚の後、エレミヤが語った預言です。 1「災いだ」と処断されている 1「牧者たち」とは、王国末期の王たちのことです。正義を行わず私欲に走った彼らの姿は(22:13~30)、主を忘れ目先の利益・安定を求め続けたイスラエルの罪の象徴でした。こうした牧者たちを廃し、 3「このわたしが…羊を…もとの牧場に帰らせる」と主は宣言されたのでした。

 直接には、およそ半世紀後捕囚からの解放そして故国への帰還を実現された主のみ業の預言と解せます。のみならず、世界と生けるものの 6「救い」のため主自ら降られた降誕の出来事が指し示されていましょう。

 5「正義と恵みの業」とは正しくふるまうことにとどまらず、愛と真実をもって迷い誤った者をもついには正しい関係へと導き帰されるみ業を指しています。私たちにも向けられたこの主のみ旨を、主イエスは迷い出た一匹の羊を捜す牧者の譬で語られました(マタイ18:10~14)。

 この真の牧者が連れ帰られる 3「もとの牧場」とは、創造の原初に主が被造物に与えられた祝福のあり様です。課題と悩みを抱える世界と生けるものを祝福と平和に連れ帰るべく主は降誕を遂げられ、今も働いておられることを仰ぎましょう。

「今日、希望がある」

イザヤ書 60章1~7節
ペトロの手紙 一 2章9~10節

 

 教会機関紙 “カケスだより” 最新号で松本寛之兄が紹介してくれた “だから今日、希望がある” を歌います。人権と正義のため働いたフェデリコ・J・パグーラ牧師が作った詞に、アルゼンチン・タンゴの曲がつけられた印象的な讃美歌です。1979年に軍事政権下のアルゼンチンで生まれ、広く中南米そして世界で歌われるようになりました。

 主イエスの生涯のゆえに、暗黒の中にも希望があると歌われています。メッセージの一つは“今日、希望がある”と告げられていることです。歴史の完成による正義の実現は将来のことであっても、それを約束し照らし出す主イエスの降誕・十字架・復活はすでに世界と私たちに実現したことであるからです。10「今は神の民であり…今は憐れみを受けている」と告げられている通りです。

 イザヤ60章の預言はB.C.6世紀のバビロン捕囚からの解放直後、 2「暗黒が国々を包んでいる」中(59:13~15)で告げられました。が主の慈しみにより 2「あなたの上には主が輝き出」る、だからその光を受けて諦めとつぶやきのあり様から 1「起きよ、光を放て」、そうすればその希望に 4「みな集い」 5「喜び」を共にするだろう、と告げられています。

 パグーラ牧師が2016年に召天された際、オラフ.F.トヴェイトWCC総幹事は“神の国が人間の歴史に現れ、具現化することを同牧師は説いておられました”と書簡に記しました。降誕に始まる主イエスの福音は、混乱や悩みもある今にも私たちを支え生かし究極の希望に向かって歩ませる力です。世界にある同信の友と共に歌いましょう。

「わたしを何者だと言うのか」

ルカによる福音書 9章18~27節
出エジプト記 3章13~14節

 

 先週もたれた第23回教区の集いで、マルコ福音書の通読が行われました。通して語られるのを聞いて、主イエスの福音は言葉・業・十字架・復活そのすべてをもって私たちに与えられているのだと改めて思わされました。この主イエスの力強い言葉と業に接したガリラヤの人々の間には、この方は18「何者」だろうとの驚きが広がりました。19「洗礼者ヨハネ」19「エリヤ」19「昔の預言者」の再来だなど様々な噂が交わされていますと報告する弟子たちに、主イエスは20「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われました。

 ペトロが「神のキリストです」(口語訳)と答えました。ここで大切なのは彼が正しく答えたかではなく、自らの信仰を言い表したことです。ペトロは、あなたこそ私の救い主ですとまことをもって告白したのでした。

 当教会の受洗志願書の信仰告白を記す欄には、“自分にとってイエスとは誰であるかを書いてください”とあります。ここに記され信仰告白会で語られる内容は一人一人異なりつつ、そこから主と共なる旅路が始まっていくのです。

 信仰を告白したペトロも、続けて告げられた主の十字架予告は理解できませんでした(マルコ8:32)。また十字架に際し主を否んだ(22:54~)ペトロでしたが、主の赦しと再びの招きにあって生涯主と共に歩んだのです。“イエスとは誰であるか”とは、私たちにとっても生涯の問いです。紆余曲折がありつつも主と共に歩みゆく者は、その旅路において27「神の国を見る」であろうと告げられています。

「あなたがたを遣わす」

ルカによる福音書 9章1~6節
エゼキエル書 28章25~26節

 

 ガリラヤ宣教の主イエスの許から派遣された 1「十二人」は、主に養われその恵みを広く分かち合うべくそれぞれの生活へと遣わされる後世の信仰者をも象徴していましょう。その派遣に際し、 3「何も持って行ってはならない」と厳しいことが告げられています。それは主なる神にこそ信頼し支えられるその大切さ重さを知るためだったでしょう。 1「力と権能」を授けられた 1「十二人」でしたが、時に無力をも露呈したのです(9:40)。まことの養い主イエスから派遣されたこと自体が、最大の 1「力と権能」であることを彼らは知ったのでした(22:35)。

 被災者支援センターエマオには東日本大震災発生以来これまでに9000名近いボランティアがやって来てくれました。その中には、何の見返りもない働きの中で大切な経験をし、自らの方向を見いだしていった若者もいます。

 併せ開いたエゼキエル書に、養われる民が26「ぶどう園を植え、安らかに住み着く」ことを通して、主なる神はご自身25「聖なることを…示す」とあります。26「ぶどう」は荒れ地にも育ちますが、良い実をつけるまで10年近くかかる作物です。生活に地道に向き合い取り組むこともまた、主の派遣に応え祝福にあずかる働きであることを教えられます。

11月のおたより

 11月11日(日)午後、恒例の教会バザーが開かれました。好天に恵まれて暖かい中、地域の方がおいでくださり、ひとときを過ごされました。

 全体人数は例年より少なめだったかもしれませんが、買い物後も礼拝堂に設けられた休憩コーナーでゆっくり楽しんでくださった方が多かったように感じました。おかげさまで、手作りケーキ・味噌おでん・焼きそば・コーヒーなど完売。こひつじ文庫・男声合唱「コーロ・リベーロ」のステージも好評でした。

 収益はすべて、諸団体の福祉活動・社会活動に送られます。

 ご準備・奉仕・応援くださった皆さん、おつかれさまでした。

 

収穫感謝合同礼拝 「十頭のらくだ」

創世記 24章9~21節

 

 息子イサクにふさわしい嫁を探してきて欲しいと主人アブラハムから頼まれた僕は、10「十頭」の10「らくだ」と一緒に旅に出ました。らくだは重い荷物を載せて長旅ができると共に、たくさんの乳を出してくれる頼もしい動物です。

 加えて僕にはもう一つ考えがあったようです。辿りついた井戸べで、僕は14「らくだにも飲ませてあげましょう」と言ってくれる女性をお示しください、と主に祈りました。すると一人の女性がやって来て、汲んだ水がめから僕に飲ませると共に19「らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」と言ったのです。ベトエルの娘リベカでした。

 らくだに持久力があるのは体内に脂肪や水を蓄えているからで、そのぶん一度に大量の水を飲みます。10「十頭」の10「らくだ」はおよそ1トンの水を飲んだはずで、リベカはその水を汲む苦労を厭わなかったのです。

 こうしてリベカはイサクの妻となりました(24:67)。アブラハムはこの結婚が、ついには人類全体への祝福へとつながることを見通していました(6節、12:3)。リベカの優しさと労苦は、主の遠大な計画の中で尊く用いられたのです。僕たちが汲んだ水をぶどう酒に変えて、「最初のしるし」を顕わされた主イエスのみ業を思い起こします(ヨハネ2:11)。私たちの思いを超えてみ旨を実現される主を仰ぎ、それぞれの業に向かい行きたく願います。

キリスト教入門講座 (第15期)

キリスト教に触れてみたい方、もう一度基礎を学んでみたい方に向けた講座です。

小西牧師がお話します。内容は第14期までと同じです。特に申し込みは必要ありません。

いずれも水曜日、19:00~20:30、仙台北教会にて。

 

第1回 : 11月7日  「名をもつ神」

第2回 : 11月14日  「イエス・キリスト」

第3回 : 11月21日  「十字架と復活」

第4回 : 11月28日  「神の国を生きる」

第5回 : 12月5日  「聖書」

第6回 : 12月12日  「召し出された者の群れ-教会」