日本聖書協会 新共同訳聖書
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死後について聖書に尋ねたい。 死んだら キリスト者は、聖霊に導かれ、守られていますが、 死んだ後、キリストの再臨までどうなるのでしょう?! 小川和孝 伝道師 使徒言行録の2章から4章までは、AC60年以前の、再臨の近い状況の中での教会の生活が記され、5章以降については、使徒言行録の書かれた80年代のキリスト教会の生活で、再臨がすぐ来るものではないことから、教会の生活が祈りだけでなく、教会員も働く日常の生活に戻って行ったため、教会へ捧げるものは一部でよくなりました。 果たして、キリストの再臨によって、死んだ私たちは復活する分けでしたが、私たちは死んだ後、キリストの再臨がすぐ来ないとすれば、どうなるのだろうと、思います。 その答えは、ルカによる福音書のイエス様の十字架の所にありました。 ルカ23:42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。 23:43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。 と、イエス様が言われたように自分の罪を悔い改めて、キリストを信じる者は、死んだら、主イエスと共に天の楽園で過ごしているのです。 そして、キリストを信じない者は、ルカ福音書16:22〜23に記されていました。 ルカ16:22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。 16:23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。 16:24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』 と記され、キリストを救い主と信じない者は、金持ちの様に陰府に降りさいなまれることになります。 このことは、ルカによる福音書によります。 パウロの言葉によると、コリント書の中で、自然の命の身体と霊の身体があると述べられています。 Tコリ15:44 つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。 この自然の命の身体とは、この肉体であり、霊の身体とは、神に吹き込まれた命の魂と理解できます。ですから、キリストの再臨の前までは、私たちは、肉の身体は死んで葬られますが、霊の身体として、主と共に楽園に生きているか、陰府の苦しみに苛まれて(さいなまれて)私たちの霊は生きているのです。 パウロのロマ書によると、 ロマ8:9 神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。 キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。 8:10 キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。 キリストに属していれば、“霊”は義によって命となっています。 と記されています。 ルカによる福音書の十字架上のイエスの御言葉 ルカ23:43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。 という様に、パウロによっても、キリストに属する者は、身体が死んだ後、義によて命となっているのです。 体が死んでも、私たちの霊はキリスト共にある。と理解できます。
この新共同訳聖書は、日本のプロテスタント教会、カトリック教会、聖公会等の教会が共同で訳した聖書で、教会で使われて居る聖書です。
日本キリスト教団 上山教会でも、新共同訳聖書を使用しています。
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