●共に食べる教会 / 片岡輝美

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 10年近く前に、ゴスペルハウスによく来ていた高校生の女の子に言われました、「教会って、不思議なところだね。こんな小さい子からお年寄りまで、一緒にご飯食べるんだもんねぇ」。彼女にしてみれば、とても新鮮な発見だったようです。

 私たちの教会は、ほんとうによく一緒に食事をします。それが、日常的のように思えることもありますが、祝会の度に彼女の言葉を思い出します。2004年のクリスマス祝会も、よく食べました。大人もこどもも、みんな元気いっぱい食事を楽しみました。4つの大きなテーブルに乗せられたご馳走の数々…。どれから頂いていいのやら…。目移りしちゃって、気持ちはワクワクしちゃって…。

 もうひとつ、祝会の度に私も不思議に感じることがあります。それは、食事の量。クリスマス礼拝の最中、私はまわりを見回して祝会参加者の人数を予想してしまいます(ごめんなさい。)。そして並べられたご馳走をみて「う〜ん、ちょっと足りないかも…。」と少々不安を感じつつ、お祈りをして、さあ、いただきます!

 「みんな、お腹いっぱいになったかな…。」と思いながらも、私もパクパク。そして、みなさんが満足そうな表情になった頃には、ちょうどよくご馳走も無くなっているのです。ほんとうに不思議なことです。

 お隣りの人を気遣い、分け合いながら一緒に食事をすることによって、心も満たされていくのでしょう。今、政府は「食育基本法」なんていう法律を考えています。しっかり家庭で食事をしましょうと、奨励するためです。なんとも奇妙に話のようですが、今の子どもたちは、そのような法律が必要な現実の中にいるようです。息子のふたりの級友は毎日、コンビニのお弁当です。

 イエスさまは、多くの人と食事をされました。どんなお話をしながら、食べていたのでしょう。想像すると、楽しくなってきます。愉快な話で大笑いしていたのかな? 愚痴を聞き、なだめながら食べていたのかな? 今の私たちと変わらないのでしょう。

 共に食卓を囲み、生かされている喜びを分かちあうという、とても現実的な行為を大切にする私たちの教会。そのことは、こどもにとっても、大人にとっても、ますます貴重な体験になっていくのです。

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