| ●平和はみんなの手で育てるもの / 片岡平和(写真中央が筆者) |
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. ![]() 「平和は守るものじゃない。平和を守ろうとすると軍隊が生まれる。守るべきものは自然であり、平和というものはみんなの手で育てるもの」。私は金城祐治さんが仰っていたこの言葉を一生忘れません。私が今回の東北アジア平和協議会に参加していた時、祐治さんは沖縄・辺野古の新基地建設阻止の闘い半ば亡くなりました。本当に残念です。私は今回参加した東北アジア平和協議会の報告に、この祐治さんの言葉を添えたいと思います。神さまの慰めが悲しみの内にあるすべての人へ豊かにあることを切に祈ります。 私は今年(2007年)の5月16日から22日まで台湾で開催された東北アジア平和協議会(主催:アジアキリスト教協議会)に参加しました。協議会には台湾・韓国・香港・日本の4カ国から、各国のキリスト者青年・各国のキリスト者青年部幹事・講師・ゲスト・スタッフを含めて33人の参加者が集いました。参加団体はアジア青年キリスト教協議会(Christian Conference of Asia-Youth)、 韓国キリスト教青年協議会(Ecumenical Youth Council in Korea)、香港キリスト教協議会(Hong Kong Christian Council)、日本キリスト教協議会(National Christian Council in Japan)、台湾長老教会青年部(Youth Committee of Presbyterian Church in Taiwan)でした。 今回の協議会のテーマは「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい(エフェソの信徒への手紙4章3節)」という聖書の箇所から引用されました。このテーマに沿って東北アジアという地域において平和を構築するために、具体的な課題として東北アジアの非軍事化について取り上げました。さらに「東北アジアの再軍事化・愛国心の強要と民衆の安全・グローバル化する世界における平和構築のための神学的視座・東北アジアが抱える経済問題」というキーワードが設定されました。各国から来た参加者は真剣な議論を重ね、お互いの国の課題を共有しました。 東北アジア平和協議会の目的は2つあります。1つは台湾・韓国・香港・日本の4カ国から青年を集め、東北アジアという地域におけるキリスト者の青年活動を繋げるという目的です。7日間、寝食を共にしプログラムを通して真摯に議論をしたり様々なレクリエーションも織り交ぜた楽しい時間を過ごして仲間作りをしました。 毎朝、聖書の学びからその日のプログラムが始まりました。7日間に及ぶ協議会のプログラムは大きく分けて3つの枠組みがありました。まずは講義形式のプログラムが2日目にありました。2日目に行われた3つのプログラムの題は「神学的理解と平和構築における聖書の学び(Dr.
Simon, Kwan Shue-Man)」、「東北アジアの平和運動を立ち上げる(Dr. Lai, Yi-Chung)」、「東北アジアの軍事化と現状(金井創牧師)」でした。そして、3日目には金門(キンメン)という島に行く1泊2日のフィールドワークがありました。 すべてのプログラムの中で、私が最も興味深いと感じたものは5日目に行われたナショナルレポートでした。そのプログラムでは青年の視点から発題される各国の課題を共有しました。台湾は非軍事化を進めるためには中国から受ける軍事的な脅威や経済的な脅威を無くすことが最大の要だと訴え、その脅威に抗うために台湾の民衆的なアイデンティティを高める必要性を主張しました。韓国は北朝鮮との対立を越え、朝鮮半島統一に向けてアプローチしていくことを課題とし、そのためには平澤(ピョンテク)の米軍基地建設の問題と駐韓米軍基地を撤去する必要性を強く主張していました。香港は1997年に中国へ「返還」された後の人権状況の悲惨さを訴え、愛国教育やメディアによる情報規制が富裕層や政権の権力を維持するためだけのものであり民衆の批判的な視点が必要であることを主張しました。日本は戦争への道を突き進む足がかりとしての憲法第九条改悪とそれに伴う自衛隊と米軍が一体化する在日米軍再編の問題、そして非暴力による辺野古の新基地建設阻止行動が東北アジアにおいて特に重大な意義を持つことを主張しました。 日本からの参加者として発題したことを踏まえて、今一度ナショナルレポートの発表を振り返りたいと思います。平和憲法と謳われる日本国憲法の要は憲法第九条であり、その根幹には「人を殺したくない、自分も殺されたくない、そして誰にも殺して欲しくない」という力強い祈りがあります。これは、かの世界大戦の悲惨な経験から反省と未来への平和の願いを込めて戦争放棄と武力の不保持を高らかに謳いあげる世界に誇るべき憲法です。 軍隊・基地・戦争はすべて「守るための」という形容詞が付けられながらも、実情としては他国を「攻めるための」口実になるのです。この課題があるなか、私は特に辺野古の新基地建設阻止行動における重大な意義と緊急支援の必要性を訴えました。辺野古の非暴力による阻止行動は戦争放棄・武力の不保持を訴える憲法第九条を体現した闘いです。この辺野古の闘いは日本・東北アジア・世界へとつながる反戦、非暴力の強い祈りがあり、祈りを持ってそれを行動に移している闘いです。私は辺野古の阻止行動に参加し、今も東京で若者と共に自分たちの足下から沖縄・辺野古のことを考え訴えていく活動を、強い祈りを持って行動に移す実践を重ねています。 今回、東北アジア平和協議会に参加したことは、私自身の中でその経験をまだまだ十分に消化しきれないほど大きな意義がありました。各国の状況を青年の視点から主張をし、共に生きる東北アジアの地域において各国の課題を担っていくこと。平和を願うすべての取り組みの傍らに「平和を実現する人々は幸いである その人たちは神の子と呼ばれる(マタイによる福音書5章9節)」と証しするイエス・キリストが共にいて私たちがキリストにあって「平和のきずなで結ばれる」ことを憶えたいと思います。そしてこのことを憶えながら、強く祈り、行動に移しこの東北アジアの地にあって共に生きていく道を模索していきたいのです。 (※本稿は早稲田教会『ぼろ/6月号』に掲載されたものです。) |