第24回いなわしろ献身キャンプ

1999年8月3日(火)〜6日(金)

 うおおおらあ! そこいらの教会がやっている、甘っちょろい「夏の修養会」なんかクソくらえだ(おっと失礼)! 誰も入ってこない、猪苗代湖畔の奥のそのまた奥…。湧き水で飯ごうを炊き、トイレも自作。懐かしい本物テントで夏の4日間を仲間たちが過ごす。湖、星空、大雨…。建物の中ではなく、大自然のただ中で読み味わう聖書の言葉が、おれを生かしてくれている。もう、24年にもなるのか…。「志」のある者、集え! ■下記の文章は現在アメリカ留学中のスズキ・クニトモくんのリポート。

 献身キャンプ…。それは文明が発達した今の人達がやっている何でも揃っていて、なおかつ楽チンで楽しいだけのキャンプとは明らかに違うキャンプであった。辛いがゆえに感動したことも沢山あった。まず場所のことであるが、初めて行った時は「本当にここでキャンプが出来るのか」と思えるほど草が生えていた。まず草を刈る作業をした。その辺からすばらしいと思った。自分たちの場所は自分らで作ると言うことがすごかった。また余談ではあるが、どこからか来ていた家族が子供のウンコを放置していたのは腹が立った。

 そうこうしているうちに準備も終わり、キャンプが始まった。まず、キャンプで一番強く感じたのは、生きていくうえで不可欠である「食う」ということがとても大切であるということだ。なぜなら、普通の生活の中ではめしの用意がしてあるのは当たり前で、自分達の役目は食うことだけである。しかし、このキャンプでは食うためにある人が米をとぎ、またある人が火をたくためにマキを拾い、またある人がそのマキを燃やすというように、何もしていない人が一人もおらずみんな食うために働くのだ。

 その労働のあとの飯は労働の疲れをも忘れさせてくれるほどのうまさだった。たとえそのめしがコゲた米であっても、たとえそれが水のようなカレーでも(笑)うまかった。これら、めしの準備やみんなで協力する労動を通して「人間は一人では生きていけず、一人ひとりの存在はその辺りにとってもなくてはならない存在なのだ」ということを身をもって学ばされた。
 その他では、テントを張るときに五郎さんというタダモノではない、何かオーラを感じさせる釣り好きなおじさんに、顔の前でオナラをたれられたのも記憶に残っている。リクリエーション、キャンプファイアー、肝だめしなどいろいろなプログラムがあった。どれも楽しかった。また様々な仲間と出会い、数多くの刺激を受けた。

 キャンプを通して沢山学んだ。今、巷で流行っている「楽勝アウトドア・キャンプ」にはない感動も味わったし、おれ自身の人間の器も少しはでかくなったと思う。これを読んで少しでもキャンプに参加してみたいと思った人はダマされたと思って来ることを勧める。そうすれぱまた違った角度から「自分の人生」が見れるようになる。よりWILDな人間になれると思う。おれがこのキャンプに参加してそんな人間になれたのだから…。

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