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/ その小屋(劇場)は300席程度。ミュージカルを上演するには小さな空間だ。真夏のニューヨークだというのにエアコンはない。直径1メートルもの巨大な扇風機2台が無造作に床に置かれ、肌にまとわりつく劇場の湿った空気をゆっくりとかき回していた。日本人は僕たち4人、少し離れたところに白人旅行者が3人。他は全てアフロ・アメリカンの観客で劇場は満杯だ。異例のロングランを記録したオフブロードウェイ・ミュージカル『ママ・アイ・ウォント・トゥ・シング』を地元ハーレムで味わった。役者の息づかいはもちろん衣擦れさえ聞こえてくる、舞台から3列目中央の席で僕は震えていた。涙が止まらなかった……。 翌年の1991年、あるキリスト教系新聞の記事を発見。西片町教会(東京)でハーレムからのクワイア(聖歌隊)によるゴスペルライブが開催されるとの報に即刻電話でチケットを手配し出かけた。ハモンドに合わせて歌う。無伴奏曲も交えつつたった8名のクワイアとは思えない音圧だ。歌声は歓喜と苦悩、祈りと呻きになって礼拝堂に溢れる。喉を痛めた。掌が腫れた。ライブ終了後、控え室でメンバーと言葉を交わし驚かされた。「おおブラザー、私もかつてあの劇場に出演していたのだよ」。その時、笑顔で握手しハグしてくれたのが本書の著者W.T.ウォーカー氏である。ケイナン・バプテスト教会牧師、M.L.キングと共に公民権運動を推し進めた闘士。そして、かのJ.ジャクソンに「ハーレム・ルネッサンスの男」と言わしめた著名な黒人宗教音楽の研究者でもある。 空前のゴスペルブームだ。主な検索エンジンで音楽に限定しても14万件余りヒットする。規模は大小だが全国で数多くのクワイアが活発な活動を展開しており音楽映像媒体もひと昔前とは比べようもなく入手し易くなっている。「これぞ伝道の好機」とする向きもあるがそんな下心とは無関係にゴスペルは世代を超えて既に癒し系音楽として受け容れられている。厳密に言えばゴスペルも「黒人宗教音楽」の一形態である。黒人宗教音楽は決して一括りにできない主題、様式、成立過程の多様性を本来もっている。著者は『誰かが私の名を呼んでいる』(新教出版社)において膨大な基礎資料をもとに、黒人宗教音楽が信仰者個人の癒しに止まらず社会変革に強烈に関わり続けていることを見事に示してくれた。本書はその継続研究の成果として生まれた。 前掲書において著者は主に黒人霊歌、黒人韻律音楽、即興演奏讃美歌、歴史的現代的ゴスペルを分類しそれらの成立と発展を社会史的文脈から詳述したのだが、その研究の過程で明らかになった前出の枠に入らないものを本書で取り上げている。著者はそれらの歌群を「祈りと賛美の歌」と分類する。奴隷制崩壊後、南部で生まれ口伝された元奴隷の「祈りの集いや礼拝前の黙想の時に歌われた歌」を丹念に収集した極めて貴重な記録、「信仰の宝」だ。副題のように本書によって読者は「ゴスペルの源流」へと招かれるに違いない。 各章に1曲ずつ全9曲が収められている。それぞれ四声楽譜、英詞、日本語訳詞、聖書の出典、神学的観点、歌詞と形式の分析、現代における意義、と整えられており大変見やすく編集されているのがありがたい。主題は苦難、再生、喜び、回心、希望、確信、信頼など大胆で豊かだ。平易な文章でゴスペル愛好者はもちろん、研究者にも十分に応えてくれる労作である。(※既に翻訳済みと伝え聞く第2巻、第3巻の出版が待たれる。) 本書が神戸マス・クワイア(川上盾代表)によって翻訳されたことは何よりも喜ばしい。同クワイアは設立当初から未翻訳の本書と前掲書を用い、地元神戸の人々と共に喜び苦しみ祈り呻きながら演奏活動を重ねている。2001年にはケイナン・バプテスト教会でも献歌した。会津マスクワイアも本書を携え共にゴスペルの源流をたどろうと思う。 |